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返信:銀閣と東大寺 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年07月03日(火) 22時05分22秒 / ID : S.QB7dmE

  Z.Kさん
  E.H.カーの「歴史は繰り返す」ではないですが、歴史は似たような出来事が繰り返すのではないかと思います。だからこそ、歴史を学ぶことで、先見性を養うことにもなるのだと思います。
  銀閣は銀箔を最初から貼る予定ではなかったという説もありますが、いずれにせよ、義政が政治にあまり関心を持たずにいたということは言えそうです。なぜ義政が政治に関心をあまり示さなかったのか、ということを突き詰めて行っても、義政=悪という簡単な図式にはなりえないのではないかなと思います。
  
  うさねこさん
  子どもと哲学性というのは縁遠いような気はしますが、実は色々な物事への偏見などがない目で見られるという点においては、すぐれた視点をもっているのだなと思えます。
  恐らく、電車の中の子どもも、そういう素質をその時に親が見つめてあげられなかったことで、その芽はきっと萎んでしまうのでしょうが、子どもがもっているその哲学性は、時として大人を驚かせるのだなと思いました。僕自身も頭が相当に固くなっているのだなと驚きつつも思うのでした。


お久しぶりです 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年07月01日(日) 20時13分39秒 / ID : CEcbCX6A

   お久しぶりです。
   「ゼロ分やる」実に面白いですね。私も30代半ばになってわかってきたのですが、多くの先人が言った子供の無限の能力というのは、本当に事実ですね。丈庵さんがおっしゃるように、子供の目は科学者の目でもありますが、哲学者の目でもありますね。
   私達は「死」や「空間そのもの」「時間そのもの」への恐怖ということを、子供のときに純粋に有していました。こうした恐怖感がどれほど重要であるかは、哲学を真剣に勉強すればするほどわかります。「死」に関していえば、私達は大人になるにつれて、「墓」とか「葬式」とか「遺影」という形式に慣れて、死への恐怖感を忘れていってしまいます。あるいは、忘れることが「大人」であるというような錯覚に陥ります。しかしいくら「慣れて」も「死」の問題はちっとも解決なんかしていないのですね。ハイデガーはこうした形式への逃避を指摘して、子供や古代人の方が遥かに本質的哲学的であるといいました。
   科学にしても、本質的な科学者というのは、哲学者と同様、当たり前のようにみえる世界への驚きを失わないからこそ、新鮮な発見を継続できるのでしょう。アメリカ発の巨大原子力潜水艦の名前がジュール・ベルヌの小説に由来し、日本で哲学を志す多くの人が、「子供の目」に満ちた宮沢賢治の童話を出発点にしていることは、実に正しく象徴的であるように思われます。


銀閣と東大寺 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年06月30日(土) 19時21分26秒 / ID : YMNRecZg

  奇妙な題名になってしまいましたが、歴史思索「義政から時代論」を読んで思ったことを書きたいと思います。
  慈照寺銀閣に銀箔が貼られていないことを論じる時、まず貼る計画だったかどうかを考える必要があると思いますが、足利義政は銀箔を貼りたかったのだが当時の室町幕府の財政状況から断念したと仮定した場合、義政の政治が問題になると思います。そして、@歴史は主に政治によって作られる(動かされる) と考えた場合は、応仁の乱を招くなどした「足利義政が悪い」という意見が成立すると思います。次にA歴史は社会・経済状況により大きく左右される と考える場合は、政治も社会・経済に大幅に制約されるわけですから、単純に「足利義政が悪い」とは言えないと思います。僕は、基本的にAの立場で丈庵さんと同じように「足利義政が悪い」とは言えないと思います。室町幕府は、基本構造自体が弱体であり将軍権力の弱体化と守護大名の成長は避けがたかったと思います。しかし、銀閣に銀箔が貼られなかったのがほぼ必然であるとするならば、奈良時代の東大寺・東大寺大仏造営も必然であったのか?という疑問がおきました。東大寺・東大寺大仏造営は、現代の視点だけでなく同時代の橘奈良麻呂にも批判されるなど民衆への重い負担を強いました。歴史は、社会・経済により動かされる・歴史上の大きな出来事は時代の流れであると考えるとこれも政治の横暴・独善ではなく避けがたい事態であったとなるのでしょうか?(個人的には、避けられたと考えたいですが。)
   また、銀閣に銀箔を貼らなかったことは無理なことをしなかった(あるいは、無理を小さくした)という点で足利義政の数少ない善政と言える気もします。幕府を弱体化させたことは失政としても、苦しい経済状況の中で銀箔を貼っていればさらなる失政となっていたと思います。一方、聖武天皇は、大仏の表面に金を塗ったためにさらに人民の負担を大きくしたと思います。財政上の問題だけでなく、金を塗るために大量の水銀が使われ、労働者の健康にも悪影響があったと思います。


返信:研究の基本方針についてA 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年06月04日(月) 20時17分15秒

  Z.Kさん
  色々仮説を立てて調査・研究を進めるのはとても良いと思います!
  さて、調べ方ですが、出版年が新しい=最新の研究=良書、とはならないところが、選択を難しくさせると思います。
  また、遡及探索をした結果、自分が調べようと思った分野はすでに研究されていて、新しい課題を見つけて研究を進めることになる、ということもままあります。
  遡及探索というか、先人の良書、名著といわれているものは、研究史を紐解く上でも是非目を通されることをお勧めします。その上で、最近の動向を探るわけですが、「史学雑誌」の“回顧と展望”なども使えると思いますし、最近出版された書籍の参考文献を見てみるのも良いと思います。
  概ねそうして見ていくと、その研究をリードしている人が数名出てきます。もちろん、それ以外が読むに値しないというわけではありませんが、いわゆる学会の多数派勢力ということになろうかと思います。
  日外アソシエーツなどから色々と面白い本が出ているので、参考にされると良いと思いますよ。
  また、図書館司書有資格者として、是非図書館のリファレンスの活用をお勧めします!リファレンスコーナーへ行って、こういった種類の本を探しているといえば、多数のヒントが得られると思います!
  


研究の基本方針についてA 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年06月02日(土) 20時02分22秒

  僕が、調査・研究の中心としている時代は、大宝律令が成立した701年から藤原不比等が死去する720年までです。この時代は、まだ律令国家体制の建設は不十分であったという見方もあると思います。(僕は、8世紀から9世紀は、律令国家体制の建設・整備と動揺・崩壊が同時進行した時代だったと考えています。律令法典の整備は、大宝律令・養老律令・弘仁格式・貞観格式と進んで行き、改良された社会経済制度も色々あるのですが、土地の国有制は723年の三世一身法で早くも一部崩れていると思います。平城京の造営も政治的にはプラスであったとしても、社会・経済の安定という面ではマイナスであったと推測しています。)しかし、僕は723年の三世一身法が743年の墾田永年私財法へつながり、その結果、土地の大規模私有の進行・班田収受制崩壊となったと考えていますので、最も律令体制が充実していた時代として701年から720年を選びました。(墾田永年私財法についての評価は、公地公民制の崩壊を招いたという否定的なものが主流であったのが、班田収受制の欠点を補う改革・必要であった政策という肯定的な見方が多くなっているように思います。しかし、まだ完全に結論を出した訳ではないのですが、僕は墾田永年私財法が班田収受制崩壊のきっかけだという見方にこだわりたいと考えています。墾田永年私財法により、日本の班田収受制が唐の均田制に近づいたことは間違いないと思いますが、日本の律令体制にはマイナスになったと思います。墾田永年私財法の欠点を示す史料の一つが骨太日本史にも出ている加墾禁止令であると思います。墾田永年私財法は貧しい農民の生活にも悪影響を与えたと推測しています。)また、僕は藤原不比等を日本の律令国家建設に大きく貢献した一人と考えていますので、この期間を研究の中心としました。
   大きな図書館へ行くと、古代史の本も色々ありますが、調査・研究の中心となる本を選ぶ場合は、特にこだわりのある本でない限りは出版年の新しいものを選んだ方がいいのでしょうか?専門書の選び方の一つとして、山川出版社『日本歴史体系』や吉川弘文館『国史大辞典』の参考文献を当たるというのがあると思いますが、欠点としてどちらも出版から10年以上が経っている本なので、調べる本に古い本が多くなるというのがある気がします。


返信:無題 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年05月07日(月) 19時57分55秒

  Z.Kさん、ありがとうございます。
  最後の部分で、古代社会・経済を考える難しさが例としていくつか挙げられていて、確かにそこは非常に興味深い点だと思われます。体制側は、従来の体制(在地首長制)を利用する。在地首長制側としてもそのまま新たな波に飲まれてしまっては生きる手立てがなくなる。両者のぶつかる所があったのではないかと想像に難くありません。
  調査研究を進める上では、大よそこうでは?というゴール地点を見据えて進めるものではありますが、その途中にゴールが変わることは多々あります。むしろ新しい地平が開けて、見方も広がったと喜ぶべきではないでしょうか!
  
  うさねこさん、ありがとうございます。
  武士道の捉え方として、昨今はあまりにきれいに捉えすぎなのでは?という意味で記したものだったので、まさしくうさねこさんのおっしゃるとおりと思います。
  武士道、大和魂、神風などという言葉に最後は逃げてしまうというのは、考えることを、工夫することを放棄することにもなるのではないかと思え、そういった点では明治時代くらいまでの新しいものを取り入れて行こうという精神と、大きくかけ離れていると思います。日本海海戦の秋山真之は神には頼らなかったわけですし、到底きれいごとで通じるレベルのお話でもないように思います。
  そういった諸々について、少しでも見聞を広めた上で武士道の言葉を使うならまだしも、軽々しく扱うということが、これは単純に僕の好き嫌いですが、嫌なわけです。給料も土地じゃないわけですし、現代にその精神を軽々しく蘇らせようとしたって、無理というものです。であるならば、ある程度知識を身につけてもらいたいな、と思う次第です。
  


無題 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年05月01日(火) 12時55分07秒

   「死ぬことと見つけたり」を読ませていただきました。
   私達は憧れとしての武士道が強すぎて、戦争の本質をとらえにくい面があると思います。しかし武士道は本当は丈庵さんのように多面的なもので、上司への諫言など、死を賭けても愛情を貫く、ということで、そういう意味では恋愛も一種の武士道になりうるのですね。
   私達が武士道を勘違いして理解しているのはたとえば、武士道を「正面攻撃」の精神と勘違いしている人が多いということです。たとえば今年の大河ドラマではないですが、孫子の兵法にみられる戦争の方法論は、「正面攻撃」論とは全面的に矛盾します。しかし矛盾するという捉え方自体が矛盾しているのですね。情報戦や調略を駆使する戦い方を「ずるい」というような言い方が武士道というのは、完全な武士道への誤解というべきでしょう。武士道は戦争の方法論ではないのですね。
    第二次大戦の日本軍は情報戦を疎かにして、正面攻撃的精神が多くなり、連合軍の情報戦戦術・調略にいろんな面で屈した面があります。「あれはアメリカの謀略だ」というようなことをしきりにいう人が保守革新問わず大勢いますが、謀略こそが戦争・戦争にかかわる政治の本質だということを忘れさせるもの、戦争とは清く正しいものだという認識があるからこそこういう勘違いをするわけで、そこに武士道への奇妙な誤解があるのではないかと思います。
    正しい武士道を発揮した20世紀間的人物は、たとえば終戦時の首相の鈴木貫太郎さんですね。昭和20年4月、枢軸国への勝利を目前にしてアメリカ大統領ルーズベルトが急逝します。鈴木首相は反対を押し切り、ラジオ放送で「我が国の武士道には、最も激しく戦っている相手の敵を愛する、という精神があります。今、アメリカが我が国に対して優勢な戦いを展開している背景には亡くなられた大統領の優れた指導があったからです。私達はアメリカ人の深い哀しみに謹んで弔意を表し、しかしあなた方の植民地主義に対してはより一層激しい戦いを展開する所存であります・・・」という放送をおこないます。一方、包囲されたベルリンからはゲッベルス宣伝相の「悪魔の手先、戦争犯罪者、ルーズベルトが死に絶えた」という放送が、やはり全世界に流れています。「・・・東洋の小さな国には世界で最も偉大な精神が存在する。あなた方ドイツ人は鈴木首相の放送について、どう考えますか。どんなに絶望的状況になっても、人の死というものへの品性と愛情があるということ、これが日本人とドイツ人の最大の違いといえましょう」と、ドイツに亡命していたトーマス・マンは祖国への放送で語ったといわれています。武士道というのは戦争の方法でなく、人間の死にかかわる品性と愛情の問題である、ということを、この鈴木首相のエピソードは示しているといえましょう。
  


無題 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年04月26日(木) 19時53分48秒

  僕が、調査・研究の中心としている時代は、701年(大宝律令制定)から723年(三世一身法)までです。(この理由については、次回以降に投稿したいと思います。)この時代において、「富裕層の農民」に近い存在として郡司層が上げられると思います。(少し違うような気もします。疑問に感じた方は御指摘下さい。)郡司の経済史上の階層については、経済史の文献では「在地首長層」という用語がよく用いられていると思います。例として、石上英一氏は日本の古代社会の生産関係を総体的奴隷制・農奴制とは異なる第三の形式である首長制の生産関係である(註1 石上英一『律令国家と社会構造』名著刊行会 1996年 P165〜168要約 )とした上で、律令制下の郡司の役割について次のように述べています。「 集落共同体の結合体としての地域社会は、律令制下の地方行政組織としての郡の規模の地理空間に相当する。集落共同体首長は、族的・地縁的結合により郡規模の地域社会における支配者層(在地首長層)を形成している。律令制下では、これらの在地首長層は、国家機構の地方行政組織としての郡司として編成され、郡司が政務を行う官署としての郡家に結集して郡規模の地域社会を政治的に支配する。この郡司による地方行政の支配機構こそは、天皇―班田農民(公民)と、首長―民戸の二つの支配隷属関係を統合するものであった。」註2 石上英一『律令国家と社会構造』名著刊行会 1996年 P169引用 このことから、律令国家は班田収受制を大和政権時代からの農村部支配層と協力することで実施していたのだと思います。そうしなければ(全農民を直接支配する社会制度を目指せば)、強力な中央集権国家が成立するどころか大混乱となっていただろうと思います。しかし、「律令国家―班田農民」というだけではない複雑な社会構造は古代社会・経済を考える上で面白さではあるものの、難しさでもあると思います。(例えば、在地首長層は班田収受制に必要な存在ではあったが、律令制の徹底化を妨げた面もあるのではないか? 在地首長層と班田農民の疲弊とはどう関連付けるべきか? 学校では、律令体制に関して「公地公民制」という言葉がよく使われたがこの用語は適切なのか? などです。)
  僕が当初、古代国家について調べ始めた時は、強大な権力を持った律令国家(中央政府)と酷使される班田農民という社会像を描いていたのですが、調査を進めるうちに実際の律令体制下の社会・経済構造はもっと複雑であったと考えるようになりました。(僕は、公地公民制という言葉にこだわり過ぎていた気がします。)


返信:研究の基本方針について 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年04月14日(土) 23時20分40秒

  変身が大変遅くなりました(理由はもう一方の掲示板へ)。
  
  Z.Kさん
  歴史を史学科にいて学んでいると、どうしても視野が狭くなる傾向にあると思います。しかし、逆にいうと、史学科の純粋培養でないと、歴史ではないといわれる所以になることもあります。僕は思想史を学んできて、「君のは歴史ではない」と言われたこともありましたが、それが歴史を学ぶ人間の懐の浅さであって、歴史そのものの懐の浅さにはならないと思います。むしろ、Z.Kさんのような新たな視野から光を当てられることも重要なのだと思います。ぜひ、まずは@Aのポイントを明らかにしていきましょう!
  
  うさねこさん
  石田三成、お読み戴きありがとうございます。僕はこの石田三成という人物が不思議でなりませんでした。それはうさねこさんのおっしゃる所の「家」の個別的エゴイズムのみが支配していた時代にあって、それに反していたからに他なりません。
  さて、石田三成の正義感における決定的な欠落点、誠にもっともな話です。歴史が流れていく過程において、大小さまざまな波がありますから、豊臣家が勃興していく過程に起きた波がいかなるものかと考えれば、比較の問題としてどうか、ということは言えようかと思います。しかし、それらを差し引いて、例えば、新撰組などと比べると、酷い言われよう、と思える部分もあります。時代に殉じるというわけではないですが、一本筋を通そうとした両者ではありますが、この差はなぜ起こったのか、と思えるほどに扱いが違うように思います。そういうこともあって、三成擁護の立場に立ったのでした。


無題 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年03月19日(月) 15時34分18秒

   「石田三成」読ませていただきました。
    石田三成はエリート官僚的な冷徹さをもつ反面、丈庵さんがおっしゃるような、当時としては特異なくらいの正義感を有していた人物ですね。私達は「正義感」という言葉に親しいですが、それ自体が独立した社会的正義感というのは、実は近代以降確立したもので、前近代社会では、「家」の個別的エゴイズムのみが支配していたに過ぎません。そういう意味では石田三成はすごい人物という以上に、不思議な人物とさえいえるでしょう。彼がもう少し柔軟な人間性を有して、小早川・毛利・島津といった造反・中立・傍観の諸氏をつなぎとめていれば、勝利とはいわないまでも引き分けに持ち込めた可能性は高いでしょう。しかし、19万石しかない三成が、250万石以上有している家康に互角に渡り合えたこと自体が、三成の戦争設計の秀逸さを示しています。あるいは朝鮮出兵の徹退にしても、これは第二次世界大戦の徹退よりも大変な事業で、秀吉の死を内密にしながらしかも他国の援助なしでおこなわなければならなかったわけですが、これも三成の隠れた、大変な業績だといえましょう。千里眼の如き家康も、三成のすごさはよくわかっていますから、江戸時代において、三成型の能臣をたくさん生み出す土壌をつくりだします。そういう意味では、三成の存在というのは、後世に継続されていくという面もあるのでしょう。
    しかし、私は三成の関ヶ原での正義感は、なお決定的な欠落点があるといわざるを得ません。豊臣家を守る正義というのは、約束を違えた家康や伊達政宗達の不正義によって成立し、それが天下の正義ということですが、秀吉の天下だって、秀吉が信長死去以降、織田家を巧妙に退けて成立させたものに過ぎません。信長の息子の信孝を殺害、信雄を調略、孫の秀信(三法師)と弟の長益(有楽斎)を一配下大名にしたのは、他ならぬ秀吉です。まだしも家康の方が、信雄への面倒見などから、表面的とはいえ織田家を大切にしようとした気配があります。石田三成の正義感が白けたものだったのは、時代が前近代だったという以上に、長期的にみれば、豊臣の正義も、たいしたものだはない、という認識が、諸大名にあったから、といわなければならないと思います。


研究の基本方針について 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年03月17日(土) 20時22分09秒

  丈庵さんの御返信において、数回出てきました「民衆の困窮の基準」について投稿したいと思います。律令体制下での困窮した民衆として、@都の造営や運脚で都へ行ったが帰路の食料がない人 A浮浪人・逃亡人 B律令制下の貧富による区分である九等戸の中で下位とされた戸 C賑給の対象者 などが考えられると思いますが、僕は@、Aを中心に調査・研究を進めていきたいと思います。Bは人民の貧富を的確に区分できているか?という疑問と史料分析の難しさ、Cは賑給の実像をつかむことの困難さがあるからです。@は問題なく困窮者であると思いますが、Aは必ずしも生活の困窮から浮浪・逃亡となったとは言えないと考えます。それでも、国家による過度の徴税や私出挙の支払いで困窮した人民が浮浪・逃亡することはよくあったと推測していますので、浮浪・逃亡について調べることは民衆の困窮について知ることにつながると思います。
   古代人民の困窮は、生産力の低さ・古代専制国家による必然と見ることもできるかも知れませんが、それが基礎要因であったとしても何らかの不適切な政策が一層民衆の生活を悪化させたということはあると思います。経済学部卒業ということもあって民衆の生活を悪化させた経済政策とその背景について調べてみたいと思います。
  
  
  


返信:遅くなりました 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年03月12日(月) 21時47分12秒

  どの分野もそうではありますが、奥の深い、様々な所への関連を見つめなおしていかねばならないテーマですね。奈良時代を見るには、その前の豪族による支配を明らかにしておかねばならない。また、奈良時代の後にはどのようにそれが生かされたか(もしくは生かされなかったか)を検証しないことには、奈良時代の存在意義を見出せない。奥が深いですね。
  律令制ができたことによる二重支配、大建造物造営、戦乱、さらにはそもそもの社会経済構造。1つずつというよりも、連動して明らかにしていかねばならなそうですが、この時期、いわゆる富裕層の農民はいたのでしょうか。


遅くなりました 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年03月10日(土) 21時35分35秒

  確かに、律令国家が建設されたこと自体が民衆の負担増になったという面は十分にあると思います。特に、運脚・衛士・防人など長距離移動を要する労働は当時の社会では重い負担であったと思います。それでも、農民はすでに大和政権・豪族による支配を受けていたと思いますから、豪族による支配が律令国家による支配に代わったのなら民衆の生活への負の影響はまだ小さかったと推測します。(律令体制成立前の人民の負担も巨大な前方後円墳や寺院の建設などで重かったと思います。)しかし、実際には不完全な公地公民制により農民は律令国家と地方豪族による二重支配(二重搾取)を受けることになり一層生活が苦しくなったのではないかと考えています。(完全な公地公民制は無理であったと思いますが)二重搾取の代表的なものに私出挙があると思います。例として、吉村武彦氏の見解を引用したいと思います。
  「浮浪・逃亡の原因は、詔勅・太政官符などの記載によれば、課役を規避するため国家の租税収取から離脱するものと、出挙債務などによる私的収奪から離れるものとの二種類がある。」吉村武彦『日本古代の社会と国家』岩波書店 1996 P179〜P180引用
   古代民衆の困窮の原因として、都・寺院の造営や戦乱など政策の問題も当然ありますが、社会経済構造の問題もあったと思います。


返信:無題 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年03月06日(火) 22時45分25秒

  学校の試験というわけではありませんが、仕事上、無意味な考査を受けねばならないときに、上司と2人でカンニングペーパーを作ったことがありました。カンニングペーパーって作るのは意外と楽しかったりして、作ったところは楽しくその単元に接しているので、覚えてしまって結局使いもせず無意味だったりしましたね。
  楽しく勉強することの大切さを痛感しただけでした。いかに楽しく学問に接するかが大切なんだなと思いましたよ。
  うさねこさんの周囲で繰り広げられたカンニングは同情やらの余地のない次元ですよね。法学部の人間だから法を犯さないということもありませんしね。逆に法学部の人間だから法の抜け道を知っているかもしれませんからね。


無題 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年02月26日(月) 10時33分45秒

   四方山のカンニングについての文章を読ませていただきました。私は法学部出身で、法学部の方はわかると思いますが、法学部は殆どの授業が出欠席関係なし・試験一発なんですね。だから試験の割合はものすごく大きいし、範囲も長大で、しかも妥協しない辛口採点の先生が多いので、法学部の期末試験は壮絶な闘いの世界です。私も何度もカンニングを考えたことがありましたが、範囲があまりに広いので、カンニングの準備する方が面倒で、結局勉強することにしました(笑)ある程度勉強し、後は自分の個性的な答案作成で勝負した方が、ずっと可能性が高いんですね。カンニングする生徒というのは、カンニングという方法論にとりつかれていて、実質的成功の確率を実はあんまり意識していないのではないか、と思います。今でも目に焼きついているのは、卒業がかかっている同級生の凄惨な姿です。縮小コピーを繰りかえして、指先くらいになった紙に記してある法律理論なり政治学理論の教科書を、虫眼鏡でみるというカンニングしていて、いや、カンニングって大変なんだなーとつい同情してしまいました(笑)でもこれも、数個の範囲でしたら追試の制度が準備されていますから、よほどの生徒が、卒業に困難を感じるので、同情はしなくてもよいといえるでしょう。


返信:無題 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年02月21日(水) 21時10分26秒

  返信が大変遅れまして申し訳ありません。
  「律令制が末端まで浸透・徹底化されなかったこと=民衆の生活レベルの低下」
  ということは、浸透・徹底されていれば民衆の生活レベルは水準だった
  (どこを基準とすべきかは問題ですが)ということになるのでしょうか?
  
  奈良時代の民衆の疲弊を明らかにしようということで考えていくと、
  律令制の徹底だけにはとどまらないような気もします。
  律令制が徹底されていなかった地域というのが
  元から律令制を無視して住民が暮らしていたとして、
  それでも住民は貧困にあえいでいるとしたら、
  原因は他にもあるのではないかとという疑問がふとわきました。
  
  また、土断法が出るということは、税金が重かった現れであって、
  逆に律令制があったから疲弊したという考えはありえないものでしょうか?
  
  
  


無題 投稿者:Z.K
  [書込:返信|新規] 2007年02月10日(土) 18時05分08秒

  「貧窮問答歌」に関する僕の考えは、ほぼその通りです。(丈庵さんの1月29日の返信)あと1点追加すれば、律令制が末端まで浸透・徹底化されなかったことが民衆の生活にも悪影響を与えたのではないかということです。当然、文学作品で内容が必ずしも真実とは言えない「貧窮問答歌」からだけでこのことを述べるには、無理があると思います。(それでも、貧困に苦しむ農民がたくさんいなければ、このような歌は作られなかっただろうとは思います。)しかし、『続日本紀』には、律令制が中央政府の思惑通りに運用されなかったことを示唆する記事がかなりあるように思えます。例えば、土断法を述べた勅として有名な715年5月の勅では、土断法について述べた後、国司・郡司に善政を求め、飢餓・寒冷による死者を10人以上だした国司・郡司は、解任すること、地方を調査する巡察使を派遣することなどを述べています。(715年5月の勅は、農民だけでなく地方行政にも国家統制を強化するものだと思います。)この史料は、律令体制下の民衆の困窮には、中央政府だけでなく、地方政府にも原因があったことを示しているように思います。


無題 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年02月04日(日) 13時29分57秒

   ありがとうございました。マニュアル化された言葉の世界というのは、資本主義の世界ではやむを得ないこととは思います。しかし、やはり、我が国特有の現象といわざるをえないところもあります。もちろん、訴訟社会になってしまった欧米が理想というのではありません。しかし訴訟社会そのものの評価は別として、訴訟社会を生む構造というのは、やはり言葉で結着をつける、言葉のぶつかりあい、そういうものを重視するところから生まれてくるのだ、と思います。マニュアル化された言葉というのは、私には騒音にしか聞こえません。ですから説明会なんかで私はもう聞くのが嫌になってしまうときがあります。よく「渡辺(私)は上の空だ」と悪口言われますけれど(笑)私に言わせれば、騒音にあふれる地上よりも、何も聞こえない空の上の方がよほど心地よいんですね。丈庵さんのROUNDシリーズのような文章のような主張を、どんどん展開するできだ、と私は思います。


返信:無題 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年01月29日(月) 22時18分11秒

  うさねこさん
  サービス業ではクレームへの対応というのは一応の決まりがあります。
  また、マナーの一環としてもクレーム対応の研修があるくらいですから、
  実はある程度クレームを受ける側のマニュアルがあるわけです。
  そこにはどういったものがあるかと言うと、
  ・まずは徹底的に話を聴く
  ・絶対にお客様の話を否定しない
  ・「なるほど、そういう事実があってお困りになったのですね」等、相手の状況に理解を示す(即、誤るというわけではない)
  このようにひたすら聴いていると、クレームをしている側もすっきりするので
  熱が冷めたところでおもむろに、実は○○はこのようになっておりまして、
  と説明をしたり、不備があれば謝罪、というようになります。
  どんなに相手が意味不明なとんちんかんなことを言ってきても
  まずは聴く、という姿勢が求められるわけです。
  こういった聞くという姿勢も、とにかくお客様は神様だから聞いておけ
  ということではなくて、話しを聞くによる効果がきちんとあるためです。
  とはいえ、そういうものにまでマニュアル的なものがあるということが
  面白いというか笑わざるを得ない点ではあろうかと思います。
  


返信:貧窮問答歌について考えました 投稿者:丈庵
  [書込:返信|新規] 2007年01月29日(月) 22時05分35秒

  貧窮問答歌からのZ.Kさんのお考えはこういうことでしょうか?
  
  律令体制には矛盾があるのでは?
  @山上憶良は救済策をとっているように見えない
  A強引な徴税
  結論、律令の理念・思想は十分に浸透していない
  
  貧窮問答歌にも山上憶良にも歌についてさえも理解が怪しいのですが、
  以上の事だけからすると、山上憶良は事実を事実のままに記載する
  記録的意味合いでの歌を読んだということでしょうか?
  


無題 投稿者:うさねこ
  [書込:返信|新規] 2007年01月28日(日) 14時03分32秒

   最近、思うところあって、ROUNDシリーズをあらためて再読させていただきました。
   近所の郵便局やスーパーで、「抗議」する人を何度か見かけたのです。局長や店長は、実に白々しく平謝りしている。これはいったい何なのだろう、と思いました。なぜ、局長や店長は、あんなにも易々と、「責任」を認めるのだろう、と不思議で仕方ありませんでした。ひたすら、相手の怒りがおさまる時間の経過を待っています。私ならば、相手の意見に不当なことがあったら、絶対に「そうですね」なんていわない。これは忍耐力があるかどうかということとは全く関係のないことではないでしょうか。その上で、正当なことがあったら、責任というものを認める、という妥協点をこちらは準備しておく、それが対話というものです。おそらく、「抗議に来た人」がマニュアル化されているのでしょう。
   「抗議に来た人」が言葉の詐欺師だったらともかく、丈庵さんのように、正しい抗議内容をもっていたとしら、この国における資本主義や民主主義の「言葉」の意味は、いったいどこに存在するのだろう、と妙に白々しい気を感じました。「人間嫌い」「人間好き」ということをロマンティックに語る人は少なくないですけど、言葉を大切にしない世界の人間は、私はどうしても好きになれないです。私はそういう意味では、日本人を根本においてどうしても好きになれないところがあるのかもしれませんね。 


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