無題 投稿者:うさねこ [書込:返信|新規] 2007年01月28日(日) 14時03分32秒
最近、思うところあって、ROUNDシリーズをあらためて再読させていただきました。 近所の郵便局やスーパーで、「抗議」する人を何度か見かけたのです。局長や店長は、実に白々しく平謝りしている。これはいったい何なのだろう、と思いました。なぜ、局長や店長は、あんなにも易々と、「責任」を認めるのだろう、と不思議で仕方ありませんでした。ひたすら、相手の怒りがおさまる時間の経過を待っています。私ならば、相手の意見に不当なことがあったら、絶対に「そうですね」なんていわない。これは忍耐力があるかどうかということとは全く関係のないことではないでしょうか。その上で、正当なことがあったら、責任というものを認める、という妥協点をこちらは準備しておく、それが対話というものです。おそらく、「抗議に来た人」がマニュアル化されているのでしょう。 「抗議に来た人」が言葉の詐欺師だったらともかく、丈庵さんのように、正しい抗議内容をもっていたとしら、この国における資本主義や民主主義の「言葉」の意味は、いったいどこに存在するのだろう、と妙に白々しい気を感じました。「人間嫌い」「人間好き」ということをロマンティックに語る人は少なくないですけど、言葉を大切にしない世界の人間は、私はどうしても好きになれないです。私はそういう意味では、日本人を根本においてどうしても好きになれないところがあるのかもしれませんね。 |
貧窮問答歌について考えました 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2007年01月27日(土) 19時39分42秒
前回の投稿で、『日本の古代国家』からの引用の箇所は2字下げにしたつもりでしたが、作成画面と表示画面の字数の違いから、字がずれて見にくくなり申し訳ありませんでした。これからは、「」を使いたいと思います。 奈良時代の民衆の困窮を示す象徴的な史料として山上憶良「貧窮問答歌」があると思います。教科書等でよく見られる史料ですが、詳しく読むと単に人民の貧困を歌っているだけでなく、律令体制の矛盾が多く表れている気がします。まず、この歌は、山上憶良が筑前国司(国守)に就いていた732年頃に作られたと推定されています。(注)1(監修)永原慶二『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999 P983参照 山上憶良自身が見た光景を歌にしたのか、人から聞いた話を参考にしたのかはわかりませんが、国守という立場ならば、「この世はこうもどうしようもないものなのか」(末尾の箇所の意)などとあきらめた(考え方によっては貧困に苦しむ人を見放していると思います。)言い方で終わるのではなく、救済策を取るべきであったと考えます。養老律令 戸令33は、国守は毎年1回赴任地を視察し、民衆の苦しみを知り、教育や勧農を行うこと、視察地が繁栄していればその地域の郡司を評価し、荒廃している地域の郡司は評価できないことなどを定めています。(注2)養老律令が施行されたのは、757年ですが、大宝律令とほぼ同じ内容で大宝律令が現存しないので、養老律令を参考にしました。 山上憶良は人民の福祉に務める責任があったにもかかわらず、この歌からは貧困者を傍観しているように思えます。何か対策を取ったのかもしれませんが、もし十分な対応をしていたならば、それを歌に読み込んだのではないかと思います。(あくまで推測ですが) また、「貧窮問答歌」では鞭を持った里長による強引な徴税が行われている様子が書かれています。(出挙・調・庸などが考えられますが不明です。)しかし、困窮者からの無理な徴税は律令の思想に反すると思います。〔義倉を累進課税的に徴収・作物の被害が大きい時は、租や調を免除ー養老律令 賦役令9参照(注3)注2と同様です〕 大宝律令施行から、30年を経たこの時期でも律令の理念・思想は十分に浸透していなかったように思います。 |
返信:無題 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2007年01月15日(月) 21時38分41秒
うさねこさん 一連のROUND1とのやり取りにのように、似たり寄ったりの出来事は皆さん経験されているのだろうと思います。お役所的な対応に、たらいまわし。それでどうやってサービスを売るのか。人の心に訴えかけようというのか。そんなことを考えさせられる一件でした。 今回の件では先方が最終的な着地点をどこにもってくるかとその過程を見たいと思ったので、よせばいいのに、という方がいたにも関わらず、最後までやり取りをしていました。結果的には着地点は予想の範疇でしたが、経過については予想を超える酷さでした。別段こき下ろす気もないですし、褒めちぎる気もなく、やり取りをなるべくそのままにお伝えしていますので、お分かりかと思いますが、最終的には謝罪したいという投書の件以外の謝罪のなんと多いことか。もっと他にやり取りのしようもあったでしょうに。真摯に、真剣に、という対応だったとはやはり思えません。ROUND1が、というわけではありませんが、ある程度思いを強くもって行動することは必要なのだなと感じさせられました。 それにしても、自動販売機にまでねぎらいの言葉をかけられるなんて、どちらが主か分からなくなってしまいますね。 |
無題 投稿者:うさねこ [書込:返信|新規] 2007年01月15日(月) 15時18分47秒
一連のROUNOシリーズ読ませていただきました。黒澤明の「生きる」の最初の方の市役所のたらいまわしを連想させるような世界ですね。苦労された丈庵さんには失礼かもしれないですが、一種の「笑えないユーモア」の世界ですよね。「お役所仕事」という悪口がありますけれど、この国にはお役所でなくても「お役所仕事」の世界ということがある、といえると思います。日本人全体が公務員的か、というと、そういうことではない。「言葉」を大切にしなきから生じるもどかしさ、なのですね。苦情があったとき、苦情の内容に真剣にぶつかり合わないから、話が全体的にもどかしくなるのですね。謝罪すべきでないことならのならそういえばいいし、はっきりいって客とどんどん対立したっていいのです。謝罪します、客と対立なんてとんでもない、といいながら、それらの問題点の根本に対しては全然真剣でないのですね。真剣でないからこそ、非常に形式的丁寧さを装いながら、深夜にメールが来るという奇怪なマナー違反も生じる。私がよく引用するカントの倫理学の「他人語」がこの国ほどあふれかえっている国はありません。「他人語」の世界とは言い換えれば「お役所仕事」ということなんですね。私は最近は自動販売機にまで「お疲れ様」なんていう「他人語」を言わせていることに腹だって、酔っていたものですから、「余計なお世話だ、ちっとも疲れていねーよ」と思わず怒鳴ってしまいました(笑) |
返信:長くなってすみません 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2007年01月14日(日) 22時10分12秒
儒教が本格的に広まるのは江戸時代に入って、江戸幕府が採用したことが要因に上げられると思います。採用した理由は色々あろうかと思いますが、それは置いておくとして、採用されたことによって、広く教養として民衆レベルに至るまで広まっていったといえると思います。 中国では漢代に儒教が国教になっていますから、必然的に政策にも色濃く反映されると思います。 しかし日本の古代では、学問として一部に受け入れられるのみで、仏教や禅の方が民衆に広まっていたと思われます。奈良時代の鎮護国家思想も仏教ですし、様々な寺や仏像が建てられたことからしても、仏教の力が強かったのではないかと思います。 石母田氏の言う所の、「律令制の論理思考には法家的要素を含む」という論は、1971年のものであれば、恐らく更なる新しい研究が他者によってもされていることと思います。 それにしても思うのですが、どうしてこう、学者さんの文章というのは分かりづらいのでしょうか。言っている意味が日本語として通ってないですよね。 |
長くなってすみません 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2007年01月13日(土) 19時42分39秒
丈庵さんは、近世の日本思想史が専攻ということですが、古代の思想についてはどうお考えでしょうか?僕は、律令制の中心思想は儒教だと考えていますが、故・石母田正氏は次のように述べています。 儒家も、その国家論のなかにとりいれざるを得なかったこの法家的な 「富国強兵」策が、班田制・郷里制をふくむ日本の律令制国家の政策に 内在する基本思想であったとかんがえる。律令という法典自体が、儒家 の原理からは生まれず、法家の国家論を土台にしていること、奈良時代 の詔勅に管子の思想の影響がみられることも想起すべきであろう(律令 制国家の政策の基礎にある論理や思想を、単純に儒家思想とみなしてき た従来の見解は再検討すべきである)。出典 石母田正『日本の古代国 家』岩波書店 1971年 P325引用 しかし、賑給や80歳以上の高齢者・重度の障害者に世話人(侍丁)を付ける制度ー養老律令 戸令11・国司に善政を求める養老律令 戸令33などを考えれば、やはり律令制は儒学の強い影響を受けていたのだと思います。 また、石母田氏は次のようにも述べています。 東洋的専制国家の「再生産にたいする配慮」の特徴は、人工灌漑という 農耕の前提条件についての関与・規制のみならず、すすんだ形態におい ては、そこにおける直接生産者の労働力の再生産、したがって課丁のみ ならず、課丁自体の再生産を保障する最小限の単位としての「戸」の再 生産にたいする配慮・関与・規制にまでおよぶところにある。出典 石 母田正『日本の古代国家』岩波書店 1971年 P326引用 僕は、石母田氏の主張する「東洋的専制国家による再生産のための配慮」と儒教思想による民衆への配慮は矛盾するものではなく、「東洋的専制国家による再生産のための配慮」は儒教思想に支えられていたのではないかと思います。 |
返信:今年もよろしくお願いします 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2007年01月06日(土) 23時57分55秒
Z.Kさん 出典を明記されれば、問題ないと思いますよ。 ただ、古い(堅い?)世界ですので、今後は変わっていく可能性はありますが、 現状ではネット上の情報を引用するのは出典を明記するにしても 避けたほうが良いかと思います。 墾田永年私財法によって、無理のあった公地公民制が崩壊し 荘園や武士が生まれる要因となったことから、 古代と中世をつなぐ時代として、奈良時代は大きな変革期だと思っています。 色々な観点から探ってみて、その複数の糸がどのように絡み合い、 その糸の先がどこへ向かうのか、調べていくと、 古日本人とでもいうか、祖形が現れてくるのではないかという気もします。 そういった意味では現日本人の観念の多くは江戸時代に形成されたものが 多いと思うので、そこへどのように関わってくるのか という点でも面白い時代だと思います。 |
今年もよろしくお願いします 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2007年01月05日(金) 19時01分44秒
先行研究と僕の考えとの対比ということで、次の投稿を準備していましたが、その前に解決したい疑問ができましたので、ご質問したいと思います。インターネット上の投稿記事は、通常のレポートのように出典を明記(著者・書名・出版社・年代・ページ数)すれば本・論文からの引用が認められているのでしょうか?インターネット上の論文を見た限りでは、問題ないと思いますが念のため確認したいと思います。 うさねこさん、読んで下さってありがとうございます。確かに、古代史の研究で政治史・外交史も大切だと思いますので調べてみたいと思います。 |
お久しぶりです 投稿者:うさねこ [書込:返信|新規] 2007年01月04日(木) 01時46分56秒
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。私は歴史の専門家ではないので、自分の知的活動に関して、歴史方面に関して、丈庵さんの存在は大いに頼りにするところです。今後ともよろしくお願いいたします。 Z.Kさんとの議論、大変興味深く拝読いたしました。私は、「日本」の建国活動というのは、7世紀、白村江の敗戦の後、対中華の危機により本格化したと考える人間です。白村江の敗戦以前にも、もちろん国家は存在しましたし、皇室制度も存在しました。しかし国語や国史の編纂、国防制度の必要性、というものは、白村江の敗戦の後のことで、どうもその危機的改革を大化の改新の功績にずらしている気配があります。対中華への意識ということで、「倭国」「大和」だった国名を「日本=太陽のもとの国」に変更したのも明らかに670年から680年あたりと推定してよいと思います。私達は「皇室の起源」と「国家制度の起源」を混同しがちで、とかく皇室の起源について際限のない議論をしがちですが、重要なのは後者ではないか、と思います。天武天皇こそ、「大王」でない、正真正銘の「天皇」だと思います。 こうした建国活動のある意味での「第二段階」として、8世紀の社会政策をとらえる必要があると思います。首都(宮廷)の移動も段々と頻繁になりますが、考えようによっては、仏像建築も立派な救貧政策であり、その根本でには模倣でない、中華文明への対抗意識が、当時の日本の支配者層にあったと考えるべきでしょう。中国文明のスケールは偉大ですが、前漢の衰亡期や後漢の衰亡期など、インフレで人口がいきなる三分の一や四分の一になったりします。我が国は貧しく小さいけど決してそうじゃないんだぞ、という気概を、8世紀の倭国人・大和人から日本人へ変貌する私達の先祖に読み込むことも大切ではないか、と思います。 |
返信:無題 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2007年01月01日(月) 22時46分55秒
Z.Kさん、ありがとうございます。まさしく、僕が目指しているところのものはZ.Kさんのように、史学科ではないけれど歴史に興味があって、もう一歩突っ込んで調べてみたいと思う方のお手伝いが出来ることにあります。ですので、是非調べ方など質問いただければと思います。もっとも僕も今は歴史から離れた仕事をしておりますし、だいたいにおいて僕が中心的に扱っていた思想史という分野は「歴史ではない」といわれて爪弾きにされる分野ですので、Z.Kさんのご希望に沿いかねる部分もあるかと思いますが、ご容赦ください。 さて、「奈良時代の社会政策と限界」というテーマで、恐らく以前よりお話に出ている民衆の困窮などが中心課題になるのかと思いますが、その手の先行研究は読まれましたか?周辺知識も含めて、奈良時代全般の知識を再確認するために古代史の概説書なども必要かもしれませんね。また、中国との絡みが必要ならば、中国における律令制下の民衆の暮らしについても抑えておかねばならないでしょうか。 恐らく、どこに問題があったかは先行研究でZ.Kさんが考えるようなことは出てくるかと思います。その中でさらに新味を持たせるということは大変難しいです。大学院レベルであれば確実にその辺は求められますが、そうでないならば、自分の説を補完するものとして先行研究を利用していくのが良いと思いますよ。 問題はその裏を取っていくために原書を読む必要が出てくることでしょうが、そこまでの時間はなかなか取れないかと思いますので、できる範囲からをお勧めします!今後とも宜しくお願いしますね。 またその他の方々で、ごらんいただいている方々に、も2007年もよろしくお願いいたします。 |
無題 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2006年12月30日(土) 20時05分34秒
僕は、経済学部卒業で現在歴史に関係する仕事には就いていません。投稿記事のベースになっているのは、卒業論文を文学部史学科でも通用することを目標に書き直した(専門性や実証性が不十分なままのようですが)「奈良時代の社会政策と限界」です。文学部史学科を出た人に追いつくことを目標に研究を続けて行きたいと思いますので、よろしくお願いします。 |
返信:とりあえず回答します 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2006年12月27日(水) 23時36分05秒
Z.Kさん、ありがとうございます。仰るとおり、困窮の原因の1つはそこにあるのだと私も思います。 さてそこで、差し支えなければお教えいただけると、ありがたいのですが、Z.Kさんはどの様な立場で研究をされていらっしゃるのでしょうか?質問をする際に、どの次元で質問をすればよいか、トップページにもありますとおり、TPOをわきまえて行きたいと思いますので、よろしくお願いします( 学術論文用の研究ということであれば、それにふさわしい切り口の質問もあるでしょうし、趣味の領域ということであれば、それにあった質問もできるかと思います)。 |
とりあえず回答します 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2006年12月25日(月) 18時08分20秒
日曜日の投稿で、投稿者名がzになっていました。すみません。 国家が、その社会の生産能力に整合しないレベルの国家体面(建造物や軍事力など)を求めると人民が困窮すると考えています。律令制は、国際情勢もあり中国から導入した制度であったため(日本の実情に合わせて工夫したとは思いますが)、古代日本社会の発展段階・生産力と釣り合わない面があったのではないかと思います。(これについては、再度整理して回答したいと思います。)疑問があれば遠慮なく指摘して下さい。 |
返信:返信ありがとうございます。 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2006年12月24日(日) 23時19分07秒
古代の民衆の困窮としては、軍事と大建造物の2つが要因として挙げられるケースが多いのではないでしょうか。奈良時代の例と同じように、平安時代にも徳政総論で菅野真道と藤原緒継が議論をぶつけています。しかし、原因は複数あって、それが絡み合っての民衆の困窮を生んでいるのでしょうから、zさんの挙げられている点を1つずつ検証していく必要があるのかと思います。 これは質問になりますが、農業技術が低いことは直接的に困窮へと結びつくのでしょうか?(困窮をどのレベルで困窮というかも決めないといけないでしょうが) また、雑徭では自弁となっていますが、作業中や岐路における食料もすべて自弁なのでしょうか?とすると、送り出す側は凄まじい打撃ですよね。その間は国家が支給ということであれば民衆の困窮であり、国家の困窮ですよね。 |
返信ありがとうございます。 投稿者:z [書込:返信|新規] 2006年12月24日(日) 13時53分37秒
8世紀の民衆の困窮の原因として、まず中央政界の激しい権力闘争があると思います。それ以外に、平城京や東大寺の建設・古代農業技術の低さ・蝦夷 隼人との戦い・税制など律令制の欠点〔これについては、再び投稿したいと思います。〕があると考えています。 『続日本紀』の710年前後の箇所には、平城京の建設が人民の負担となったことを示す記事が複数あります。最も明確に民衆の困窮を表しているのは、712年1月のようやく平城京建設を終えた役民が故郷に帰る食料が無く飢えていることを述べる記事だと思います。故郷の農村では、平城京造営の間労働力を奪われていた上に、さらに帰還中に餓死すれば長期間の生産力低下となり、大きな打撃となったと推測します。 |
返信:初めての投稿です 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2006年12月18日(月) 22時34分06秒
Z.Kさん、はじめまして。 投稿ありがとうございます! 皆さんが考えていることを発信できる場を提供できればとも思いますので 宜しくお願いしますね。 奈良時代は政争華やかな時代という印象がありますので 必然的に社会の末端部分への政策が疎かになってしまったのでしょうか。 |
初めての投稿です 投稿者:Z.K [書込:返信|新規] 2006年12月18日(月) 19時51分40秒
初めまして。これから、時々投稿したいと思います。話題の中心は、8世紀前半の日本の社会・経済史の予定です。この時代で注目している点は、律令国家には、民衆の生活確保のための様々な制度がありながら、それと矛盾する人民の浮浪・逃亡など生活苦を示す現象が多発したことです。律令体制下の日本では、農民への口分田の班給、社会的弱者への賑給・税の減免などの支援が行われましたが、社会政策としては不十分だったようです。 具体的な話は次回にしたいと思います。 |
返信:無題 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2006年12月07日(木) 14時23分12秒
銀河英雄伝説は実際の歴史にたびたび触れることによって、物語のリアリティや信憑性を増そうとしているような感じは見受けられます。歴史は繰り返す、という言葉もあるとおり、過去の歴史を登場させることによる効果はあるのだと思います。専制政治と民主政治という政治形態は、今は民主政治に軍配が上がっていると思うのですが、専制政治が作品上は勝っているというのは痛烈な皮肉かなと思います。作者自体は民主政治に価値をおいているのでしょうから、そういう芽を摘むことのないように、との警鐘でもあるのではないかなぁと思って読んだものでした。 |
無題 投稿者:うさねこ [書込:返信|新規] 2006年12月05日(火) 02時46分44秒
丈庵さんは銀河英雄伝説もお好きみたいですね。私は銀河英雄伝説は原作はあまり読んでいないのですが、アニメは多少観ました。例によってドイツ軍対連合軍というイメージが架空史に登場するのですけれど、この作品、とても面白いのは、過去の歴史を語る、という設定になっていることですね。「銀河世界の歴史学」ということですね。SFと一口に言っても、実に様々な分類が可能で、たとえば、進化論哲学を扱ったアーサー・C・クラーク、ヴォークトなどがある反面、ファンタジーSFの始祖であるヴェルヌ、未来世界の混濁を20世紀的都市文明の混濁として描いたギブスン、銀河社会内部の社会力学を描いたアシモフというように言いわけられますが、銀河英雄伝説は銀河世界を、いわば近代史学で構成していく、という修辞学の世界なのではないかと思います。ヤマトやハーロック、ガンダムなんかもそうなのでしょうけど、銀河英雄伝説は、より本格的にそういう設定をおいているように思えます。私はSF的感性速度がかなり遅い方なので、そういうつまらないSF分類をしてから作品に接するとなんだか落ち着くタイプの人間なのでございます(笑) |
返信:無題 投稿者:丈庵 [書込:返信|新規] 2006年11月21日(火) 22時58分08秒
大家の間違いはなかなか指摘しづらいものですが、仮に指摘したとして、2通りあるのかと思います。1つは誤りを認め、指摘してくれてありがとう、となるケース。もう1つはその逆で、こちらを容易に想像できるから指摘しないのかもしれませんね。教育や学問に携わるものとして、実はそういう態度は甚だ宜しくないのですよね。大いに自身も反省せねばと感じます。ペンは剣よりも強いけれども、見栄えのいいペンにはただのペンは負けるというのは情けないですから、ペンはペンであらねばならないですね。 |
無題 投稿者:うさねこ [書込:返信|新規] 2006年11月21日(火) 22時14分04秒
「聖徳太子の冠位」を読みました。よく似たことが、私の大学時代にありました。民事訴訟法の大家で、司法試験に全国トップで合格したという伝説的エリート教授が、国際的問題について語る・・・という講演会に駆り出されていったところ、最初から最後まで、蒋介石と毛沢東を違えて話して、聴衆を半ば白けさせていました。「日中戦争の時、国民党を率いていた毛沢東は・・・」「若いころ、日本に留学したことのある毛沢東は・・・」「宋家と縁組に成功した毛沢東は・・・」よほど、「では戦後、共産党の主席になって、毛沢東を台湾に追いやった蒋介石についてどう思いますか」と言おうとしましたが、やめました。この先生は専門性に閉じこもりがちな法学部の世界では「話題豊富な人物」として有名でしたが、普段の授業から、創価学会の母体を「日蓮宗」と言ったり(正確には日蓮正宗)法学者フォイエルバッハに作曲家の兄弟がいるといったり(これはリストの間違い。フォイエルバッハは親子関係に唯物論哲学者がいるのでそれを混同したのか)とにかく、間違いの話題豊富の多いエリート先生でした。話題豊富であるべきだというその先生の考えはすばらしいのですが、やはり、あまりにも明確な基本的間違いは、脱力感を招くもので、ちょっと辟易としていました。ただこの話は、「エリート教授なんてこんなレベル」というふうに思うべきではない、とも思います。もしかしたら、彼に注意しない私達の方に、何か巨大な反省点があるのかもしれません。少なくともいえることは、その先生に出会ってから、自分は些細なことでも、準備する話題には非常に気を使うようになりました。周りが注意してくれず裸の王様になるのが怖くなったからですね。そのためには歴史から政治経済、科学にいたるまでの万能的な辞書がどうしても必要なのですが、インターネットはその点非常に便利な辞書的存在だと思いますね。 |
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