[書き込み一覧を表示]

学の掲示板


投稿元記事:
遅くなりましたA 投稿者:Z.K
 2010年09月19日(日) 19時16分42秒 / ID : 82xcMgWE
  また、律令国家と民衆の思惑の不一致として律令制と当時の社会構造があると思います。
  具体的には、律令国家は農民に口分田を班給すれば本貫地から移動を希望することはないと想定していたが、実際には班田農民は柔軟に移動できる制度を望んでいたということです。ただし、班田農民の浮浪・逃亡について、古代農民は移動が困難な中であえて浮浪・逃亡を行っており、それは国家と人民の対立の深刻さを示しているという見解もあります。石母田正氏は、次のように述べています。「農民が自己の土地または共同体をすてて浮浪し逃散することは、たとえそれが移住の性質をもった場合でさえ、「アジア的共同体」の農民にとっては、特別の意義をもっていた。そこでは農民が「土地の附属物として土地に緊縛されていること、すなわち本来的意味での隷属」が特徴的であり、農業以外の他の職業または都市が存在しない段階では、一片の伝来の土地を耕作しなければ人民は飢えるほかないという生産諸力と社会的分業の段階によって規定された関係が支配的だからである」。(註3 石母田正『日本古代国家論 第一部』 1973年 P56引用) これからすれば、浮浪・逃亡は餓死を覚悟しての支配体制への抵抗であり、国家と農民の対立の激しさと搾取の厳しさを示していることになります。僕は、浮浪・逃亡は人民の国家への抵抗運動として重要視するべきことであると思います。しかし、最近の研究では律令国家が農民を土地に束縛しようとしたこと自体にも無理があったとする論調が多いと思います。僕も人民を土地に束縛する律令制と当時の社会に不整合があり国家と班田農民の思惑の差異が大きかった面があると考えます。例として、西別府元日氏の見解を引用します。
  「律令制下の民衆は、戸籍・計帳への登録により本貫地へ緊縛され、その移動は極端に制限されていた。したがって民衆の自由な移動である浮浪・逃亡は、この律令制の原則に違反し、公民を軸とした民衆掌握体制そのものの崩壊を招来しかねないもので、本来ありうべからざるものであった。しかし民衆が現実に住む社会は、双系的な可塑性・流動性に富む社会であり、民衆の移動はいわば常態ともいえるものであった。
   したがって、太政官政府は国家理念と社会的実態との矛盾のなかで、民衆の移動を制限し、民衆掌握を実態化するための、さまざまな政策を実施してきたのである。」(註4 西別府元日『律令国家の展開と地域支配』思文閣出版 2002年 P64引用)
   このことから(「したがって」以降の文に特に注目して欲しいと思います。)律令国家と人民は重税や大規模な建築工事への動員・徴兵といった直接的な負担による摩擦だけでなく、国家の目指す社会制度と現実の社会経済構造の不整合という深刻な問題を抱えており、政府の政策と民衆に対立が起きやすい状態となっていたと考えます。古代人民の視点に立てば、浮浪・逃亡は国家の課す重税への抵抗であると共に国家の基本構想への抵抗という面もあると推測します。繰り返しになりますが、前述の西別府氏の見解から、律令法典が想定している固定的社会と実際の古代日本社会に社会経済構造の不一致があったと思います。その背景として、律令国家の成立過程があると考えます。日本に律令国家が成立した背景としては国際情勢が強く影響していることが一般的によく言われていると思います。これは、社会経済構造に応じて統治制度が構築されずに、統治システムが社会経済構造から強い独立性を持って作られたことになると思います。僕は、律令国家は民衆への様々な配慮を持ちながらも当時の社会経済構造と十分に合致していなかったため、多くの社会矛盾を生む結果となったと推測します。古代史を調査研究する上で引き続き、公私の二重支配、及び社会の実態と制度の不一致に着目していきたいと思います。


投稿者: メールアドレス:
内容:






eucaly.net FreeBBS Version.3.0.0 / By eucalyptus. 2002