| 投稿元記事: 遅くなりました@ 投稿者:Z.K 2010年09月21日(火) 20時35分38秒 / ID : QDJ0PO52 大変遅くなりましたが、丈庵さんの2009年9月25日の御返信における「政府と地方、農民の3者がどのように絡み合うことで実が挙がらなかったのかでしょうか。」について、解答したいと思います。 政府と地方の思惑が一致していない例として、地方の有力者による班田収受制の悪用が挙げられると思います。吉田孝氏は、在地首長層が勢力を補強するために班田制を利用して良田を集めようとしたことを『続日本紀』延暦10年5月条より指摘しています。[註1 吉田孝「奈良時代の社会と経済」(編者)井上光貞・永原慶二・児玉幸多・大久保利謙『日本歴史大系普及版2 律令国家の展開』山川出版社 1995年 P252参照 下記に引用するのは、その『続日本紀』延暦10年5月条の該当箇所です。 史料1(『続日本紀』791年5月条)「A(戊子、是より先、諸の国司等、常荒不用の田を校べ収めて、以て百姓の口分に班てり。徒にその名を受けて租を輸すに堪へず。)B(また、王臣家、国郡司、及殷富の百姓等、或は下田を上田に相易へ、或は便あるを便あらぬに相換ふ。此の如きの類、処に触れて在り。)C(是に、所司に仰せ下して、却りて天平十四年・勝宝七歳等の図籍に拠りて咸く皆改め正さしむ。来年に田を班たむが為なり。)」[註2 (校注者)青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸『続日本紀五 新日本古典文学大系16』 岩波書店 1998年 P501引用 英字・( )引用者] A( )は次のように述べています。諸国の国司が劣悪な田を収公して、農民に班給している。それでは、租を納入できない。B( )は、有力者が下田を上田に、あるいは不便な土地を便利な土地に交換する行為が行われていると述べています。僕は、この史料と同じように班田収受制を悪用する行為が奈良時代の前半にも既に行われていた可能性があると考えます。それは、農民の不満・生活苦を招き浮浪・逃亡の増加に繋がった可能性もあると思います。ただし、この史料は791年のもので、C( )は792年の班田が適切に施行されるように742年や755年等の資料を用いA・B( )の行為を正すよう指示しています。このことから考えて、奈良時代前半の時点では班田収受制の支配層による悪用が蔓延していたとは思いません。 律令国家としては、班田収受制の目的は農民に最低限の生活を確保し確実に税を取り立てることであると思います。ところが、国司や在地首長層といった地方の有力者は国家の思惑通りに律令制を運用するとは限らず、自らの利益も考慮に入れて行動していたと推測します。これが甚だしくなったため、上記の史料が出されたのであり、ある程度は律令体制の早い段階から問題が生じていたと考えます。国家は自らのために制度が理念通りに施行されているか否かに関わらず人民に負担を求め、地方の有力者は律令制を利用して勢力を強化しようとしていたのだと思います。この結果、最も犠牲となったのは農民であると考えます。 |