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学の掲示板


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お久しぶりです 投稿者:うさねこ
 2007年01月04日(木) 01時46分56秒
   あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。私は歴史の専門家ではないので、自分の知的活動に関して、歴史方面に関して、丈庵さんの存在は大いに頼りにするところです。今後ともよろしくお願いいたします。
   Z.Kさんとの議論、大変興味深く拝読いたしました。私は、「日本」の建国活動というのは、7世紀、白村江の敗戦の後、対中華の危機により本格化したと考える人間です。白村江の敗戦以前にも、もちろん国家は存在しましたし、皇室制度も存在しました。しかし国語や国史の編纂、国防制度の必要性、というものは、白村江の敗戦の後のことで、どうもその危機的改革を大化の改新の功績にずらしている気配があります。対中華への意識ということで、「倭国」「大和」だった国名を「日本=太陽のもとの国」に変更したのも明らかに670年から680年あたりと推定してよいと思います。私達は「皇室の起源」と「国家制度の起源」を混同しがちで、とかく皇室の起源について際限のない議論をしがちですが、重要なのは後者ではないか、と思います。天武天皇こそ、「大王」でない、正真正銘の「天皇」だと思います。
   こうした建国活動のある意味での「第二段階」として、8世紀の社会政策をとらえる必要があると思います。首都(宮廷)の移動も段々と頻繁になりますが、考えようによっては、仏像建築も立派な救貧政策であり、その根本でには模倣でない、中華文明への対抗意識が、当時の日本の支配者層にあったと考えるべきでしょう。中国文明のスケールは偉大ですが、前漢の衰亡期や後漢の衰亡期など、インフレで人口がいきなる三分の一や四分の一になったりします。我が国は貧しく小さいけど決してそうじゃないんだぞ、という気概を、8世紀の倭国人・大和人から日本人へ変貌する私達の先祖に読み込むことも大切ではないか、と思います。


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