| 投稿元記事: 貧窮問答歌について考えました 投稿者:Z.K 2007年01月27日(土) 19時39分42秒 前回の投稿で、『日本の古代国家』からの引用の箇所は2字下げにしたつもりでしたが、作成画面と表示画面の字数の違いから、字がずれて見にくくなり申し訳ありませんでした。これからは、「」を使いたいと思います。 奈良時代の民衆の困窮を示す象徴的な史料として山上憶良「貧窮問答歌」があると思います。教科書等でよく見られる史料ですが、詳しく読むと単に人民の貧困を歌っているだけでなく、律令体制の矛盾が多く表れている気がします。まず、この歌は、山上憶良が筑前国司(国守)に就いていた732年頃に作られたと推定されています。(注)1(監修)永原慶二『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999 P983参照 山上憶良自身が見た光景を歌にしたのか、人から聞いた話を参考にしたのかはわかりませんが、国守という立場ならば、「この世はこうもどうしようもないものなのか」(末尾の箇所の意)などとあきらめた(考え方によっては貧困に苦しむ人を見放していると思います。)言い方で終わるのではなく、救済策を取るべきであったと考えます。養老律令 戸令33は、国守は毎年1回赴任地を視察し、民衆の苦しみを知り、教育や勧農を行うこと、視察地が繁栄していればその地域の郡司を評価し、荒廃している地域の郡司は評価できないことなどを定めています。(注2)養老律令が施行されたのは、757年ですが、大宝律令とほぼ同じ内容で大宝律令が現存しないので、養老律令を参考にしました。 山上憶良は人民の福祉に務める責任があったにもかかわらず、この歌からは貧困者を傍観しているように思えます。何か対策を取ったのかもしれませんが、もし十分な対応をしていたならば、それを歌に読み込んだのではないかと思います。(あくまで推測ですが) また、「貧窮問答歌」では鞭を持った里長による強引な徴税が行われている様子が書かれています。(出挙・調・庸などが考えられますが不明です。)しかし、困窮者からの無理な徴税は律令の思想に反すると思います。〔義倉を累進課税的に徴収・作物の被害が大きい時は、租や調を免除ー養老律令 賦役令9参照(注3)注2と同様です〕 大宝律令施行から、30年を経たこの時期でも律令の理念・思想は十分に浸透していなかったように思います。 |