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学の掲示板


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無題 投稿者:うさねこ
 2007年01月28日(日) 14時03分32秒
   最近、思うところあって、ROUNDシリーズをあらためて再読させていただきました。
   近所の郵便局やスーパーで、「抗議」する人を何度か見かけたのです。局長や店長は、実に白々しく平謝りしている。これはいったい何なのだろう、と思いました。なぜ、局長や店長は、あんなにも易々と、「責任」を認めるのだろう、と不思議で仕方ありませんでした。ひたすら、相手の怒りがおさまる時間の経過を待っています。私ならば、相手の意見に不当なことがあったら、絶対に「そうですね」なんていわない。これは忍耐力があるかどうかということとは全く関係のないことではないでしょうか。その上で、正当なことがあったら、責任というものを認める、という妥協点をこちらは準備しておく、それが対話というものです。おそらく、「抗議に来た人」がマニュアル化されているのでしょう。
   「抗議に来た人」が言葉の詐欺師だったらともかく、丈庵さんのように、正しい抗議内容をもっていたとしら、この国における資本主義や民主主義の「言葉」の意味は、いったいどこに存在するのだろう、と妙に白々しい気を感じました。「人間嫌い」「人間好き」ということをロマンティックに語る人は少なくないですけど、言葉を大切にしない世界の人間は、私はどうしても好きになれないです。私はそういう意味では、日本人を根本においてどうしても好きになれないところがあるのかもしれませんね。 


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