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衛士について@ 投稿者:Z.K
 2008年08月10日(日) 16時15分49秒 / ID : wPDBzmnk
   律令国家を調査研究する上で、注意が必要なことの一つは高等学校時代に学んだ知識がそのまま使えない場合があることだと思います。律令体制下の民衆の生活を考えるには、当時の税制度やその変遷を正確に理解することが必要だと思いますが、それを詳しく調べれば以前学んだ知識との相違が出てきます。高校の学習に必要な知識としての運脚は、丈庵さんがおっしゃる通り「租は地方財源、庸調は中央財源であり、後者を中央へ運ぶためのものが運脚」であると思います。しかし、「運脚について@」(2月23日投稿)の中の『岩波 日本史辞典』の引用箇所を読み返して頂きたいのですが、正確には調庸の運搬に加えて「正税で交易された進上物の運脚」と「舂米運京」が存在していたのだと思います。同様に、高校時代に学習した知識がそのまま使えなかった例として、衛士があります。衛士とは『岩波 日本史辞典』によれば「律令に規定された中央武力の一つ。左右衛士府・衛門府に所属しており,宮内の警衛,京内の巡回,行幸の供奉等にあたった。一般の公民からなる軍団兵士から交代で勤務することとされていたが,律令制初期から逃亡が多く,次第に弱体化した。」と述べています。〔註1(監修)永原慶二『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 P125引用〕衛士は、元は農民ですので長期間徴兵されたり、逃亡して帰らなかったりすると故郷の農村にも打撃となると思います。そのこともあって衛士に注目しているのですが、詳しく調べると以前学んだ知識と相違が出てきました。僕は高校生の時から、衛士の任期は一年と覚えていました。これは、養老律令の規定としては正しいのですが、実際はもっと複雑だったようです。『続日本紀』の711年条には、次のような記述があります。
  史料@(『続日本紀』711年9月条)
  「甲戌、詔して曰はく、「凡そ衛士は、非常の設にして、不虞の備なり。 (中略)今より以後、専ら長官に委ね、勇敢にして武に便なる人を簡ひ点して、A(毎年に代易へしめよ)」とのたまふ。」[註2(校注者)青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸『続日本紀一 新日本古典文学大系12』岩波書店 1989年 P171引用 英字・( )引用者]
  A( )のところで衛士を毎年交代させるように指示していますので、711年以前は衛士の任期は一年以上であったと推測できます。さらに、税負担の実態を掴みにくくするのが次の史料です。(衛士についてAへ)


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