投稿元記事: 【昭和22年9月1日】 投稿者:スピカ 2024年08月31日(土) 22時08分35秒 【昭和22年9月1日】 … 木炭バスと言われても、想像もつかない。 ただ、故障が多かったとか。 それでも、その日の故障は最悪だった。 長崎市の北の入り口、打坂。馬を鞭で打たないと登らない坂という意味らしい。またの名を地獄坂。曲がりくねった道、片側は崖。現在では想像もつかないが、当時の地形図はまさにそうなっている。 そこで故障。 ハンドルもブレーキも効かない、最悪の事態。 バスはずるずると崖に向かって後退していく……。 若い車掌が飛び降りた。 近くの石をタイヤに噛ませ、輪止めとするが、三十余の乗客の重みのかかった車体には効果がなかった。 ずるずると、ずるずると、崖へ。 しかし、奇跡は起きた。 何かに乗り上げてバスは止まった。 ……もう、想像はつくのではないだろうか。降り立った乗客や運転手が見たものを。 横たわった車掌の体と、それに乗り上げたタイヤ……。 ▽ 「息はある!」 自転車の急報を受けた麓の営業所の職員は、軽トラックで現場に戻り、彼を荷台に載せた。 炎天下。荒い息は徐々に弱くなっていく。 ……結局、助からなかった。 この勇敢な車掌の名は、鬼塚道男さん。享年、二十一。 これだけの出来事なのに、長く人々の記憶から消えていた。 それが一番 信じられない。 現場に地蔵尊が祀られ、顕彰碑が建ったのも、事故から時を経てからだった。 語る義務があるのではないか? 知った者には。 騙りがあってもいいのではないか? 顕彰の目的ならば。 SNSは、その手段となりえないか? 何度でも、語る。間違いを恐れずに、語る。 涙にぼやける液晶画面に、すべてを託す。 今日も地蔵尊は、安全と生活を見守っている。 生者が怠惰ではいられない。 ──────── ──────── |