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投稿元記事:
『砂漠の女王』(ジャネット・ウォラック著・内田優香訳)、ソニーマガジン社、2006年3月 投稿者:宮田 律
 2006年07月15日(土) 22時16分12秒
   本書は、「イラク建国」に関わった英国の女性政務官・東方書記官で、考古学者でもあったガートルード・ベルの伝記である。著者のジャネット・ウォラックは、驚嘆するほどの調査や取材を行い、本書を書き上げている。まさに労作といえる作品で、ガートルード・ベルの生涯を実に詳細、緻密に表現している。ベルは、バイタリティの固まりのような人物であり、当時の西欧人女性としては例外的ともいえるほど旺盛な知的好奇心と行動力をもち合わせた人物だった。
   ベルの生涯を通じて、現在、イラクが抱える問題の本質が見えてくる。イラクは、英国の帝国主義的な野心によって建国された国である。ベルが語るように、ヨーロッパの帝国主義進出以前、イスラームの人間は「自分の国」についてフランス人やイギリス人のような感覚を持ち合わせていなかった。彼らの愛国主義とは自分の生まれた土地やその周辺にしかあてはまらないという認識をベルは自らの研究によってもっていた。
   しかし、英国の官僚であった彼女は、国策としてのイラク統治を考えなくならなくなる。イラクという土地を愛しながらも、英国の利益のためにイラク人を犠牲にせねばならない苦悩がベルにはあったのだろう。英国やフランスによるアラブ人の「トルコからの解放」は、第一次世界大戦後のイラクで民族・宗派間の対立をもたらし、現在と同様に、スンニ派はアラブ王国の建設を、またシーア派は宗教国家を、さらにクルド人は独立を求めるようになった。ベルは混乱したイラクでイギリスの影響力を保つには、アラブ人の自治を支援することではないかという結論に達する。
   また、ベルは人口の多いシーア派にスンニ派を対抗させるために、クルド人をイラクに残すことを提案してもいる。さらによそ者で、オスマン帝国に対する「アラブの反乱」を指揮したファイサルをイラク国内の安定のために必要と考えていた。その後イラクではクルド人の独立を求める反乱が繰り返され、ファイサルの王政でも安定せず、ベルの意図は決して成功したとはいえなかった。
   ガートルード・ベルが鬱的な状態になり、自殺とも解釈される非業な死を遂げるに至ったのは、非情な政治の世界の中で、学者や一人の人間としての良心を貫くことができなかったからではないかと思えてくる。「イラク国家」の致命的な矛盾を、それを乗り越えることができなかった英国人女性の生涯を通じて本書は改めて教えているかのようだ。
  


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