[FreeBBS by : eucaly.net]

宮田律の掲示板


  掲示板です

 [新規書き込み]
 


1ページ目 >>次ページ (全45件 / 48KB)

レシャード・カレッド著『知ってほしいアフガニスタン』書評 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2010年05月30日(日) 17時57分17秒

   昨年誕生したアメリカのオバマ政権は対テロ戦争の主戦場をイラクからアフガニスタンに移行した。しかし、ブッシュ政権が戦争でテロをいっそう増殖したように、戦争はテロの抑制にまったくならかった。
  アフガニスタン人医師の著者が回想するように、アフガニスタンは平和で、美しい国だった。そのアフガニスタンの安寧や秩序を奪ったのは、オバマ大統領のような外からの介入によってアフガン政治に変化をもたらそうとする姿勢や政策だった。
   著者によれば、インド洋での補給艦活動に莫大な資金を使うならば、武器や麻薬の流通を封じるための国境の管理を支援することのほうがはるかに重要だという。民主党政権が成立してこの補給艦活動は停止することになった。
  鳩山政権は今後五年間で五〇億ドルの支援を行うという公約を行った。しかし、著者がいうように、これまでの日本の援助資金がどのように使われ、役立てられたかを検証することになしに支援していくのはまったくの無益だろう。日本が中心になって元兵士たちの武装解除を行ったが、その兵士たちの社会復帰の実情を調査する必要があるというのも著者の主張である。
   今後のアフガニスタンの安定や秩序づくりのためには、国内各勢力や周辺諸国を含めた話し合いによる合意づくりが必要だという著者の主張には首肯できる。アフガニスタンでは伝統的にロヤ・ジルガで政治・社会問題の解決を図ってきた。国際社会に求められているのは、紛争を解決しようとするアフガニスタン人の努力を促したり、そのための自助努力を後押ししていったりすることだ。
   欧米人や日本人にはないアフガニスタンの事情や、そこで生活する人々の心情が、アフガニスタン人が書いているからこそよく分かる。対アフガン政策にかかわる人たちには必読書といえるだろう。
  


パキスタン・アフガニスタンの現況について 投稿者:宮田
  [書込:返信|新規] 2010年05月30日(日) 17時41分53秒

  2月初旬から中旬にかけてアメリカ・オバマ政権が対テロ戦争の主戦場と考え、タリバンがともに活動するパキスタン、アフガニスタンを訪れた。
  イスラマバード市内のセキュリティは昨年二月に訪れた時に比べるとはるかに厳重になった。コンクリートのバリケードでチェックポイントがつくられ、イスラマバード市内に入る車両がチェックされる。パキスタンのタリバン(パキスタン・タリバン運動:TTP)は、アフガニスタンのタリバンとは違って、米軍など外国軍との戦闘よりも、パキスタン政府の親米姿勢に反発し、パキスタン国内でのテロ活動に力点を置いてきた。
  アメリカはアフガニスタンへの兵力の増強を決定したが、TTPもまたオバマ政権の対テロ戦争の攻撃目標となっている。米軍の無人偵察機によるミサイル攻撃は精度を増すようになり、TTPの有力な指導者の殺害が頻繁に行われるようになった。昨年から今年にかけてTTPの有力な指導者が相次いで殺害され、組織の弱体化が指摘されている。TTPの活動拠点は、アフガニスタンとの国境地帯にある「部族地域」だが、TTPの部族地域支配は、強圧的で、いっそうの混乱と無秩序をもたらした。部族地域はパキスタンでは最も居住環境が劣悪なところとなっている。
  TTPとは対照的に、アフガニスタン・タリバンは、パキスタンにとって「資産」である。アフガニスタンで親パキスタンの姿勢をとるタリバン政権が復活することは、パキスタンが宿敵国家であるインドに対抗するうえで好都合といえる。アフガニスタンでタリバンが米軍やNATO軍に対して用いるIED(路肩爆弾)製造の材料はパキスタンの部族地域から入っているが、これもパキスタン軍は黙認している。
  パキスタンに滞在している間に、アフガニスタンの実情を見たくなったが、地方は治安が悪いというので、首都カブールとその周辺のみを訪れることにした。アフガニスタンのカブールの空港に着くと、ポーターが勝手にスーツケースを運び出した。ポーターが迎えの車にスーツケースを入れた後で、一ドル紙幣を渡したら、ひどく不満そうな顔を見せた。聞くと、五ドルが相場だそうだ。カブールの人間は、金に異様に執着するようになっている。カブールは、支援団体や軍関係者の外国人が金を落とし、ミニバブルともいえる状態になった。
  アメリカは、アフガン戦争でタリバン支配を終わらせたが、アフガニスタン人はさらにみじめな状態になった。現在、アフガニスタンでは食料、インフラ、保健衛生、職がまったく十分ではなく、生活苦がタリバンの求心力を高めている。こうした問題にアフガニスタン政府は改善策をまったく講じてないのが実情だ。
  アフガニスタンの治安の悪さが国際社会の支援を困難にさせている。鳩山政権は今後5年間でアフガニスタンに対する五〇億ドルの支援を約束した。腐敗で悪名高いカルザイ現政権に対して復興資金を与えても、どれほどの効果が望めるだろうか。日本は戦後賠償でインドネシアから多くの留学生を受け入れ、それがインドネシアにおける良好な対日感情の背景となり、インドネシアの発展にも役立った。アフガニスタンやパキスタンに日本人を送り、支援活動を行うことが難しいならば、アフガニスタンやパキスタンの青年たちを日本に招き、教育や技術訓練を施したらどうだろう。それが、暴力が吹き荒れるこれら二国に、将来への希望をもたらすことになると思うのだが。
  


「イスラム過激派」の現況について 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2009年09月13日(日) 12時00分50秒

   インドのムンバイで2008年11月26日に発生した同時テロ事件は、アルカイダと関連があるパキスタンのイスラム過激派のラシュカレ・タイバ(高潔な軍隊)の犯行であるとインド政府は発表した。ラシュカレ・タイバは、パキスタンの他のイスラム過激派組織が信奉するデオバンド派というイスラムの宗派(19世紀英領インド帝国で生まれたイスラムの原点に回帰しようとする思想や運動)ではなく、サウジアラビアの国教であるワッハーブ派という厳格なイスラムの宗派を奉ずる組織である。
  他のパキスタンのイスラム過激派の関心がカシミールなどインドとの闘争に向くのに対して、ラシュカレ・タイバはアルカイダのように、欧米(特にアメリカとイギリス)、イスラエル、そしてインドを敵とするように国際的な目標を掲げる。フセイン政権崩壊後のイラクにもそのメンバーを送り、米軍との戦闘を行った。
   ラシュカレ・タイバの創設は1986年とされ、当初はアフガニスタンでの対ソ戦争に従事することを主要な活動目標にしていた。この点でアルカイダの指導者であるオサマ・ビンラディンと共通の立場をとり、イラクでの戦いに従事していたことからもラシュカレ・タイバがアルカイダとネットワークを形成していることは間違いない。
  ラシュカレ・タイバは、パキスタンのラホールの近郊に軍事訓練キャンプをもパキスタンのジャーナリストのアミール・ミールによれば、なおよそ2500人と見積もられるメンバーに対して軍事技術を教化してきた。このラシュカレ・タイバの訓練にパキスタンの統合軍情報部が支援を与えたとされ、アメリカの対テロ戦争に協力したムシャラフ政権もラシュカレ・タイバの活動を黙認していた。
   2007年9月にパキスタンのペシャワルで会見したアルカイダなどイスラム過激派取材で著名なBBCのストリンガーのラヒムッラー・ユースフザイ氏の話によれば、パキスタンやアフガニスタンにはオサマ・ビンラディンと行動を共にしていたアルカイダのメンバーはもはやほとんどいないだろうということだった。欧米の学界でもビンラディンと行動を共にしていた活動家たちは「オリジナル・アルカイダ」と表現されるようになった。現在「アルカイダ」と表現される人々は「イスラム過激派」とほぼ同義語となっている。
   現在、イスラム過激派の活動を担っているのは、若い世代の活動家たちで、2000年代に入ってフセイン政権崩壊後のイラクなどで活動してきた勢力である。イラクでの戦闘が膠着状態になった現在、国際的なイスラム過激派の最重要課題はアフガニスタンのタリバン政権の復活と、アフガニスタンから外国軍を撤退させることになっている。イラクのクルド人地域、あるいはイランを通過してアフガニスタンにアルカイダのメンバーたちがアフガニスタンに流入するようになった。
   若い世代のイスラム過激派はイスラム世界各地で台頭するようになっている。オサマ・ビンラディンを生んだ国であるサウジアラビアでは政府によるアルカイダの取り締まりが厳重になったため、隣国のイエメンやアフガニスタン、パキスタンなどに流出し、活動するようになっている。イエメンは地方に対する中央政府の統制が弱く、地方では武器の売買が半ば公然と行われるようになった。イエメンではアルカイダの3つの組織があり、「イエメン兵士旅団(カタイーブ・アル・ジュンド・アル・イエメン)」「イエメンのアルカイダ」「アラビア半島のアルカイダ」がある。
  イラクのイスラム過激派には、北アフリカのモーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、エジプト、シリア、ヨルダン、イエメンなどの国々の出身者が依然としてメンバーとして加わっている。ヨーロッパでもイスラム過激派のメンバーを募る組織の存在が指摘され、イラクに武装集団のメンバーを送る大規模のネットワークの存在が指摘されるようになった。オバマ政権の対テロ戦争がイラクからアフガニスタンにシフトしつつあるため、イラクでアルカイダの活動が再び活発になる可能性がある。米国は対テロ戦争で大きなジレンマに立たされている。米国など国際社会はアルカイダの活動抑制のための包括的な戦略を検討しなければならない。
  
  


アメリカのイラク政策について 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2007年01月24日(水) 19時10分02秒

  
   1月10日、ブッシュ大統領が新しいイラク戦略を発表した。2万人以上の米兵の増派を決定し、武力によって治安を回復させる考えを改めて明らかにした。また、経済支援による雇用の創出を訴えたものの、治安が回復しない中では雇用の拡大は不可能だ。イラク政府が治安を回復することができなければ、米国はイラクへの支援を停止するとも述べた。多くのイラク人にはイラクを滅茶苦茶にした米国の大統領にそのような発言をする資格があるのかという思いがよぎったことだろう。
   12月30日、4半世紀にわたってイラクに君臨し続けたサダム・フセイン元大統領の死刑が執行された。死刑判決は、1982年イラク中部ドゥジャイル村でシーア派住民148人を殺害したことに対する「人道に対する罪」と認定されたものであった。元大統領の処刑によって、九〇年のクウェート侵攻や1988年3月にクルド人約5000人が毒ガスで殺害されたハラブジャ事件なども公訴が取り下げられることになった。死刑執行は、フセイン元大統領の「犯した罪」やまたかつての米国との親密な関係が解明されることがなくなったことを意味する。
   米国は「中東民主化」を唱えたものの、フセイン政権崩壊後に成立したイラク政府は、拙速と思われるフセイン裁判が示す通り、真の民主主義のあり方とはほど遠い。米軍の占領下で処刑が行われたことは、フセイン支持のスンニ派と、シーア派の対立を深めるばかりか、米国に対するテロをも増加させるものであり、米国の国益とは全くならない。それでもブッシュ政権は死刑判決をイラクにおける法による支配の確立の成果と支持する声明を出している。
   オサマ・ビンラディンが首謀者とされる9・11の同時多発テロは、市民の殺害を禁じ、婦女子を守らなければならないとするイスラムの教義からすれば、正当性がないものだった。にもかかわらず、米国はアルカーイダの主張をムスリムの一般市民から切り離すことに成功しなかった。罪のない人々を殺害する米国の対テロ戦争は一般のムスリムをアルカーイダの側につけることになってしまっている。
   イラクで活動するイスラム武装集団や過激派は、米軍にできるだけ多くの損害を与え、イラクを安定させないことで米軍のイラクからの撤退を考えている。イラクが混迷したまま米軍が撤退することは「信仰の偉大な勝利」とイスラム世界で認識されるだろう。米政府は、イラクへの米軍の増派を決定し、イラク社会の安定を図っているものの、米軍の増派でイラク政治が安定に向かうという保証は全くない。フセイン元大統領が死刑に処せられ、イラクへの米軍の増派が決定されたものの、イラク戦争は意義のない戦争であったことをますます露呈するようになっている。
  


さらに混迷を深めるイラク情勢 投稿者:宮田 律
  [書込:返信|新規] 2006年07月16日(日) 13時22分10秒

   5月20日にマリキー首相を首班とするイラク新政府が誕生した。しかし、イラクでは連日のように、数十人が犠牲となるテロが発生し、治安情勢は一向に改善されず、宗派・民族対立は深まるばかりである。新政府の最も優先すべき課題は治安の確保だが、しかし宗派・民族対立の背景になっている問題が改善されなければ、それも難しい。
   マリキー政権は、まずシーア派、スンナ派、クルド人によって主に構成されるイラクの宗派や民族に公平に権力を分配することを考えた。その結果、外交政策を担当する閣僚を複数にし、「外務大臣」をクルド人、「外務担当国務大臣」をスンナ派が担当するなどの措置を講じた。その他にも「国民対話担当」「国民議会担当」など同様な職務を管掌する複数の国務大臣が生まれている。
   スンナ派が新政権に最も期待しているのは憲法の改正で、北部油田地帯をクルド人に、また南部油田をシーア派の支配下に置く連邦制の見直しをマリキ政権に強く迫っていくだろう。しかし、シーア派やクルド人が連邦制を強く支持しているため、マリキー政権は当初から難しい舵取を迫られている。かりに連邦制の撤回が行われなければ、スンナ派閣僚たちが辞職し、新政府が崩壊する可能性もある。
   6月8日に「イラク・アルカイダ機構」のザルカウィ容疑者の殺害が発表された。組織の名前からもうかがえるように、ウサーマ・ビンラーディン容疑者の「アルカーイダ」に共鳴し、イスラーム世界から米国やイスラエルを放逐することを唱えていた。米兵の犠牲者を多く出すことによって、米軍のイラクからの撤退を目標にいていた。しかし、最近ではシーア派住民もテロの標的とするなどその過激な行動はイラク国内でも敬遠されつつあった。
   イラク国内で支持を失っていたものの、イスラム世界を「侵食」する米国への抵抗を呼びかけるザルカウィ容疑者やビンラーディン容疑者の訴えはイスラーム世界の「怒れる若者たち」の間で求心力をもつようになっている。ザルカウィ容疑者が亡くなっても、米国のイスラーム世界への介入姿勢に変化がなく、またパレスチナ問題にも進展がなければ、彼に倣ってイラクを含む世界各地で反米テロを行うイスラーム過激派は増殖を続けることだろう。
   イラク開戦以前、米国のネオコン(新保守派)と呼ばれる勢力は、イラクの石油収入によってイラクの戦後復興を図り、チェイニー副大統領が最高経営責任者(CEO)を務めた石油企業ハリバートンもその復興事業に携わる予定だった。しかし、このような楽観的見通しはブッシュ政権にはすでにない。イラク国内の混迷からイラク石油が国際市場に復帰できていないことも、最近の原油高の重大な背景となっている。
   ザルカウィ容疑者の死亡が公表された日、イラク新政権で治安を担当する内相や国防相、国家安全保障担当相の治安関連三閣僚が国民議会によって承認された。しかし、治安面でもシーア派の民兵11万人が内務省の治安部隊に編入されるなど、シーア派を優遇する措置がとられている。さらに、シーア派国家のイランはイラクのシーア派民兵に武器や資金を与え、シーア派支援の姿勢を強めるようになった。新政権が発足しても、宗派や民族対立は先鋭化し、イラクは混迷を深めるばかりだ。
  


『砂漠の女王』(ジャネット・ウォラック著・内田優香訳)、ソニーマガジン社、2006年3月 投稿者:宮田 律
  [書込:返信|新規] 2006年07月15日(土) 22時16分12秒

   本書は、「イラク建国」に関わった英国の女性政務官・東方書記官で、考古学者でもあったガートルード・ベルの伝記である。著者のジャネット・ウォラックは、驚嘆するほどの調査や取材を行い、本書を書き上げている。まさに労作といえる作品で、ガートルード・ベルの生涯を実に詳細、緻密に表現している。ベルは、バイタリティの固まりのような人物であり、当時の西欧人女性としては例外的ともいえるほど旺盛な知的好奇心と行動力をもち合わせた人物だった。
   ベルの生涯を通じて、現在、イラクが抱える問題の本質が見えてくる。イラクは、英国の帝国主義的な野心によって建国された国である。ベルが語るように、ヨーロッパの帝国主義進出以前、イスラームの人間は「自分の国」についてフランス人やイギリス人のような感覚を持ち合わせていなかった。彼らの愛国主義とは自分の生まれた土地やその周辺にしかあてはまらないという認識をベルは自らの研究によってもっていた。
   しかし、英国の官僚であった彼女は、国策としてのイラク統治を考えなくならなくなる。イラクという土地を愛しながらも、英国の利益のためにイラク人を犠牲にせねばならない苦悩がベルにはあったのだろう。英国やフランスによるアラブ人の「トルコからの解放」は、第一次世界大戦後のイラクで民族・宗派間の対立をもたらし、現在と同様に、スンニ派はアラブ王国の建設を、またシーア派は宗教国家を、さらにクルド人は独立を求めるようになった。ベルは混乱したイラクでイギリスの影響力を保つには、アラブ人の自治を支援することではないかという結論に達する。
   また、ベルは人口の多いシーア派にスンニ派を対抗させるために、クルド人をイラクに残すことを提案してもいる。さらによそ者で、オスマン帝国に対する「アラブの反乱」を指揮したファイサルをイラク国内の安定のために必要と考えていた。その後イラクではクルド人の独立を求める反乱が繰り返され、ファイサルの王政でも安定せず、ベルの意図は決して成功したとはいえなかった。
   ガートルード・ベルが鬱的な状態になり、自殺とも解釈される非業な死を遂げるに至ったのは、非情な政治の世界の中で、学者や一人の人間としての良心を貫くことができなかったからではないかと思えてくる。「イラク国家」の致命的な矛盾を、それを乗り越えることができなかった英国人女性の生涯を通じて本書は改めて教えているかのようだ。
  


イラン核問題について 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2005年12月20日(火) 11時20分34秒

   イランの核エネルギー開発が米欧諸国との緊張を生むようになり、核開発をめぐるイランと米欧諸国との駆け引きが国際政治の焦点となっている。特にイランで保守強硬派のアフマディネジャード政権が成立したことは、イランの核問題にも微妙な影響を及ぼすようになった。
   イラク戦争でフセイン政権が米英軍の攻撃によってあっさり崩壊したことは、イランに核兵器に対する関心を高めさせることになったかもしれない。イランは米国の「次のターゲット」として自らを意識するようになった。しかし、表面的にはIAEA(国際原子力機関)に協力する姿勢を強調し、2003年12月には核関連施設に対する強制査察に関する追加議定書に調印した。また、イランは昨年11月、英国、フランス、ドイツのEU3カ国と核問題に関する合意に達し、核燃料サイクル活動の期限付停止を自ら申し出た。
   11月中旬にロシアは、イランがロシアにウラン濃縮活動を託すならば、イランによる転換作業を認めるという提案を行ったが、それに対して米国、さらに英独仏が主導するEU諸国は支持を与えた。11月24日から始まったIAEAの定例理事会(35カ国)では、イランの核問題を国連安保理に付託しない方針となった。ロシアの妥協案が提出されたため、ロシアのイランへの働きかけを見守る方針がとられた。
   しかし、アフマディネジャード大統領のイランには、核問題について妥協する姿勢が見られない。フランスのドストブラジ外相は、12月5日、全欧安保協力機構の会議で、「イランはあくまで国内でのウラン濃縮を主張し、またロシアの提案も一方的に拒否した」と述べ、イランの姿勢に対する反発をあらわにした。また、イラン政府は12月4日の閣議で、国内2カ所目となる原子力発電所を新たにイラクとの国境にある南西部フゼスタン州に建設することを決定した。
   アフマディネジャード政権の核エネルギー開発についての強硬な姿勢は、国連による経済制裁も確実視させるようになっている。イランが核エネルギーを開発する中で、大統領による「イスラエル抹殺」発言も10月下旬に飛び出した。また、バスィージュ(イスラム革命の原理に忠実な民兵組織)などが中心になってイスラエルに対する自爆攻撃部隊も結成されている。イランの核開発、またアフマディネジャード政権の外交姿勢に、イスラエルのネタニヤフ元首相は、12月4日、イランの核開発阻止のためにその核関連施設に対する軍事攻撃も視野に入れるべきだと主張した。イスラエルや、またその同盟国である米国はイランをますます危険視するようになっている。
   核問題に関する対外的な危機の創出はイラン・イスラム共和国体制が国民を引き締める上でも必要なことだ。アフマディネジャード政権は「反米・反イスラエル」や「被抑圧者の救済」など革命の精神に立ち返ることによって、イスラム共和国体制下で生まれた矛盾を克服しようとしている。ホメイニ師時代のイランがそうであったように、国民の体制への求心力を維持するために、米欧諸国やイスラエルとの対決が強調され、それが米国やイスラエルとの軍事的衝突の可能性も含めて国際社会の重大な緊張要因となっていくに違いない。
  


新憲法成立後のイラク情勢 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2005年11月27日(日) 22時11分25秒

   イラクで新憲法草案が承認された。これによって、12月15日に国民議会選挙が行われ、12月31日までに正式な政府が成立することになった。新憲法が承認されたものの、イラクでは毎日のようにテロが発生し、政情が容易に安定する様子はない。11月2日にもバグダッド南部のムサイブでシーア派のモスク付近で自爆テロがあり、20人が亡くなった。
   少数派で、フセイン政権時代に様々な特権をもっていたスンニ派には新憲法に対する不満が強い。新憲法の中には連邦制が盛り込まれたが、連邦制が実施されれば、クルド人やシーア派が自治を獲得することになる。すでにクルド人は湾岸戦争以降、10年以上も実質的な自治を行っているが、シーア派が自治を得れば、イラク独立後初めてのことで、シーア派人口が多い九つの州が統合され、一つの国家のような体裁をもつことになる。
   スンニ派が連邦制に反対するのは、石油と天然ガスは全国民の共有財産で、その収益は人口比で公正に分配されると新憲法では定めているが、しかしイラクの石油や天然ガスは北部のクルド地域や、南部のシーア派地域に集中しており、これらの地域で自治が認められれば、収益が本当に公正に分配されるのかという懸念がスンニ派には強くある。
   また、新憲法ではフセイン大統領時代に政権政党であったバース党の活動に深く関わっていた者を公職から追放することになったが、スンニ派には旧バース党員が多く、これもまたスンニ派が今後の政治プロセスから排除されるのではないかとスンニ派は疑念を抱いている。憲法を見直す委員会が設置されることが決まっているが、そこでも連邦制や旧バース党員に関する条文に変更がなければ、スンニ派は新しい政治プロセス自体を否定し、スンニ派の武装集団の活動が活発になりかねない。
   フセイン元大統領の裁判が始まったが、米軍など外国軍がフセイン政権を崩壊させた後に行われる裁判が正当性をもつかとフセイン元大統領は法廷で語った。同様な思いは多くのスンニ派住民たちに共有され、彼らには米軍の占領下での裁判に対する強い反発がある。フセイン元大統領の裁判の判事は、クルド人やシーア派によって占められ、スンニ派の人物はいないが、こうした裁判の在り方も公正さを欠くものとスンニ派には見られている。フセイン裁判の成り行きも今後のイラク情勢に影響を及ぼすに違いない。
   「イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)」は、フセイン政権の弾圧を逃れてイランに亡命していた組織で、その活動はイランの意向を反映していると見られ、憲法起草の段階でもSCIRIの指導者であるハキーム師は、イラン政府と協議しながら憲法に関する意見を表明していたと他の勢力から非難された。シーア派の国であるイランのイラク内政への干渉もスンニ派からは反発をもって見られている。
   イラクでは、外国人ジャーナリストだけでなく、イラク人ジャーナリスト、弁護士、教員などインテリ層もテロの標的になっている。筆者が九月にクウェートで会ったイラク人ジャーナリストは十月に殺害されそうになったとその恐怖を伝えてきた。また、新たに警官になった者にはシーア派の民兵出身者が多く、フセイン政権時代に弾圧を受けた怨念からスンニ派に対する「復讐」をしている者たちがいる。現在のイラクの秩序は米軍の駐留によって維持されている印象で、イラク人自身による安定とはほど遠い状態だ。
   米国では米軍の即時撤退を求める世論が半数を超えたが、新政府ができても米軍が撤退すれば、国内の安定は保障されない。スンニ派の武装集団はフセイン政権崩壊後の政治的展開に対する不満からシーア派や米軍に対するテロを行っているし、またザルカウィなど国際的なイスラム過激派の活動もある。また、米軍の撤退は石油などイラクの天然資源を米国が確保することを困難にする。治安状況が全く改善されない中で米軍が撤退すれば、戦争や駐留の意味も問われかねない。日本の自衛隊も同じ立場に置かれている。


バリ島テロについて 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2005年11月04日(金) 15時32分45秒

   インドネシアのバリ島で10月1日夜、22人が犠牲になるという同時多発テロが発生した。バリ島では3年前にも200人余りの死者を出す大規模テロ事件があったが、今回の事件はその現場からわずか数百メートルしか離れていないところでも起こった。このことは、テロは警察力だけでは防ぎようがないことを如実に示している。
   7月7日にロンドンの地下鉄やバスで同時多発テロが発生し世界を震撼させたが、その後国際社会はテロの抑制にどれほどの関心を払い、有効な方策を講じてきたのたのだろうか。今回のバリ島のテロでも事件の捜査に関する国際的な協力は唱えられているものの、テロを根本的に封じるための協力を推進していこうという積極的な声は聞かれてこない。
   バリ島でテロ事件が発生した背景の一つには前回の事件から三年が経過して、豪州の観光客が戻ってきたこともあろう。豪州は9・11後の「対テロ戦争」でアフガニスタン、イラクに軍隊を派遣した国だ。また、欧米的な文化・歴史的背景をもつ豪州人がインドネシアに異なる価値観をもって観光に訪れることに対する反発がインドネシアの一部のムスリム(イスラム教徒)には強いに違いない。
   さらに、米国が対テロ戦争の舞台としたイラク情勢がいっそう混迷を深めていることも、ムスリムの米欧に対する憤りとなって現れている。イラクでは憲法草案の内容をめぐって、スンニ派とシーア派の対立がますます先鋭化するようになり、9月29日にはバグダッド近郊で3件の自爆テロが連続して発生し、百人以上が犠牲となった。特にシーア派が多数派を占めるイラク南部の九つの州で自治が認められれば、シーア派がこれらの州を統合して独立国家をつくり、南部の資源を独占するのではないかという強い懸念がスンニ派にはある。
   また、イラク内務省では、シーア派のSCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)の影響力が強まっているが、内務省の中で治安活動を担うSCIRIの民兵組織がスンニ派の人々を恣意的に逮捕したり、またスンニ派の聖職者たちを暗殺するようになったりしたとスンニ派は訴えている。SCIRIは、1980年代のイラン・イラク戦争中イランに亡命していたが、現在でもイランはSCIRIに経済的支援を与え、またその政治方針に影響を与えていると見られている。イランのイラク政治への介入もシーア派とスンニ派の対立を増幅する要因となった。
   9月上旬に筆者はイスラエルを訪れてきたが、イスラエルはガザから撤退したものの、ヨルダン川西岸ではイスラムの聖地であるエルサレムを取り囲むように、ユダヤ人の入植地が増加しつつあり、会見したハマスや「イスラム聖戦」の指導者たちはイスラエルに対する「抵抗」を継続すると語っていた。パレスチナ人の間では和平に対する一種の絶望感が広がっている様子だった。
   パレスチナやイラクの問題への関心が国際社会全般で低下しつつあるように見えるが、ムスリム同胞が殺害される事態に対してイスラム世界で心を痛める人は多い。イスラム過激派のテロを封じるために、パレスチナ問題、イラクの混乱、またイスラム世界の青年層の貧困問題などに対して国際社会は特に注意を払い、その改善のための協力を積極的に検討し、実現していくべきだろう。
  


ロンドン同時多発テロの背景 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2005年07月30日(土) 09時59分08秒

   7月7日にロンドンで発生した同時爆破テロの事件の背景が次第に分かってきた。実行犯のうち3人がパキスタン系で、また1人がジャマイカ系の英国人だった。西ヨーロッパのムスリム移民は、英国、フランス、ドイツの3カ国に集中している。特に英国のムスリムは、ジャマイカなどカリブ海やインド亜大陸の旧植民地から移住してきた人々だ。英国のムスリム人口は150万人余りとも見積もられているが、そのうちの3分の2は、インド亜大陸からの移民で、パキスタン系の人々が最大のコミュニティを形成している。
   英国では、1991年の湾岸戦争の際に、ムスリム・コミュニティから英国軍の参戦に対して猛烈な反発が生まれたが、それはサダム・フセインの意思決定とは関係のないイラクのムスリムが殺害されたことに対する反感や同情からだった。2003年のイラク戦争とその後の英国軍の駐留に対して、英国のムスリム社会に同様な感情が生まれたことは間違いない。英国のイラク政策に対する反発は、英国で暮らす一部のムスリムを過激化させている。
   英国など西ヨーロッパ諸国では、失業問題を背景にして安価な労働力を供給する移民は好まれなくなった。また、移民がヨーロッパ・キリスト教的価値観とは異なるムスリムだとなおさら拒絶反応が強い。ヨーロッパに移住したムスリムの多くは、権威主義的な政治を逃れ、また経済的にもより豊かな生活を送ることを望み、さらにより良い教育機会を得ようとした。しかし、文化の相違からムスリム移民に対する反発は根強く、彼らの多くはヨーロッパで強い疎外感を抱かざるをえない。
   ヨーロッパ社会との様々な軋轢や疎外を感ずるムスリムたちが、より所とするのはイスラムの宗教活動だ。こうしたムスリムの宗教活動の中で過激なイデオロギーが普及したとしても不思議ではない。ヨーロッパのムスリムを支援する組織の中には、福祉や教育など社会事業を施しながら、自らの過激な主張をムスリムの若者たちに植えつけるものもある。
   これらの組織の一部はパキスタンを拠点にしている。実際、今回の同時多発テロの実行犯の中には事件前にパキスタンを訪れた者もいた。パキスタンでは、公教育が整備されず、貧困層はモスクや神学校に子弟を預けるが、こうしたモスクや神学校で過激なイデオロギーが浸透し、イスラム過激派が勢力を伸長させるようになった。パキスタンは、アフガニスタンのイスラム原理主義組織のタリバンを生んだ国で、またアルカーイダも活動する国だ。
   アルカーイダは、イスラム世界の中心に位置するエジプトや、レバノン、シリアなどイスラム諸国政府をターゲットにすることはなかった。オサマ・ビンラディンやアブ・ムサブ・ザルカウィなどアルカーイダの指導者たちは、欧米諸国を直接のターゲットにし、欧米やイスラエルの影響力をイスラム世界から排除することをしきりに訴えている。また、ロンドンでの同時多発テロでムスリム社会への嫌がらせが繰り返されるようになった。彼らがヨーロッパ社会の中でさらなる疎外感や、貧困の中で暮らすようだと、英国をはじめとするヨーロッパも、アルカーイダに影響されるイスラム過激派のテロの標的となり続けるに違いない。
  


12月7日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年12月14日(火) 12時54分20秒

   水越恵さんの報告は、「パレスチナ和平交渉の歴史と展望」についてであった。パレスチナ問題は、米国が交渉の仲介役をは果たし、合意された内容の保証役などを務めてきた。4次にわたる戦争と、絶え間ないテロや衝突事件の発生は、問題そのものだけでなく、当事者の感情的対立をこじらせてきた。それゆえ、当事者が和平交渉のテーブルに着くことすら難しくなっている。また、交渉のテーブルに着いたとしても、暴力的衝突やテロ事件により交渉は容易に停止したり、決裂したりしてしまう。中東和平交渉には強力な指導力をもつ外部の仲介役が必要であり、この点で今後も米国の役割は不可欠であろう。米国には、イスラエル、パレスチナ両者にとって公平な仲介役であることが望まれる。
   パレスチナ問題の最終的地位交渉は、これまでの歴史をふり返って見ると、非常に難しく、この先も長期間に亘る可能性が高い。しかし、この交渉によって得られる合意を少しずつでも積み重ねていき、和平の前進を図るしかない。和平交渉がパレスチナ、イスラエルの強硬派によって阻害されず、円滑に進むように、国際社会の強力な後押しが必要である。


書評/ジェイソン・バーク著(坂井定雄・伊藤力司訳)『アルカイダ/ビンラディン  と国際テロ・ネットワーク』 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年12月14日(火) 12時37分17秒

   本書は、アルカイダの成立過程、思想的背景、アルカイダの指導者であるオサマ・ビンラディンの生い立ちや活動歴、また思想形成などアルカイダを多角的に分析している。アルカイダの「脅威」を誇張するのではなく、その性格や活動を冷静に解明する。著者は中東や、アフガニスタン、パキスタンなどで現地取材も数多く行っているが、本書はまさに労作といえるだろう。
   ビンラディンの出身国であるサウジアラビアなどイスラム諸国が正しいイスラムの道から逸脱しているのは、「不正義」であり、この不正義は大量の失業者など社会的弱者を生み出すなど不平等ももたらしている。イスラムは「正義」や「平等」を特に重んずる宗教であるが、イスラム諸国の為政者たちは、イスラム法に基づく統治を行っていないので、抵抗されるべき存在なのであるとビンラディンは考える。
   また、本書によれば、ビンラディンは、中東の偽善者の政府とそれを支援する「シオニスト・十字軍」同盟を終わらせることを目指している。イスラム世界に腐敗や抑圧をもたらしているのは、「シオニスト・十字軍」同盟の不正な政府への支援なのである。彼を反米テロに駆り立てたのは、善と悪の闘争を国際的次元でとらえる発想だ。
   著者は、一九九八年のケニア・タンザニアでの米大使館爆破事件の報復として、米国がアフガニスタンとスーダンにミサイルを打ち込んだことが、中東の偽善的支配者よりも、米国を攻撃目標にする考えの正しさを証明することになったと説明する。それを契機に米国は傲慢で、全世界の貧しいムスリムの感情に関心を持たない国家だと見られるようになった。
   本書で書かれてある通り、テロは正当化できるものではない。しかし、著者が訴える通り、テロがなぜ発生するのかを問い続けない限り、イスラム過激派による「ジハード(聖戦)」は継続することであろう。イスラム過激派の主張を受け入れることはなくても、理解することがなければ、今後国際社会はテロと向き合うことになることを本書は明快に教えている。
  


2004年10月12日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年10月15日(金) 12時33分33秒

   3年生の水越恵さんと宮田が報告した。水越さんは「中東和平の研究」と題して、中東和平の争点になっている主要な問題、難民の帰還問題、エルサレム問題、入植地の建設などについて分析を行った。また、キャンプ・デービッド合意など過去の和平協定の問題点を明らかにした。水越さんは、難民問題、エルサレムの地位に関する交渉、入植地の問題は、国際社会が当事者間の直接協議する場を設け、さらには多国間でも交渉を行う機会を設定するなどの努力が必要であると語る。また、パレスチナ人社会の生活水準向上のために、財政支援やインフラ整備のためのプロジェクト推進が国際社会には求められている。中東和平交渉は、米国の主導によって進められているが、米国の中東政策はイスラエルを支援するという「二重基準」が非難されている。パレスチナ問題はに公平な基準でもって問題解決のための環境づくりが必要だと水越さんは結論づけた。
   宮田は、中東の環境と政治の問題について報告を行った。 中東諸国の環境問題の悪化は、それを放置していたならば、世界の安全を最も損なうファクターにならざるをえない。公的な学校は生徒数の増加によって飽和状態となり、貧困家庭の子弟たちは、イスラムのモスク(寺院)や宗教学校が供給する教育に頼るようになっている。そこで過激なイデオロギーが浸透し、イスラム過激派のメンバーを育てることになった。モスクや宗教学校の教師には正式な資格が必要ではなく、教えられる内容も教師の考えによって決められる。
   また、水問題も国家間の、あるいは国家と地域(特にイスラエルとパレスチナ)の紛争の火種になる可能性がある。十分に水が供給されないという不満足な思いも、中東でイスラム過激派の要因を育てる一つの背景になっていることは間違いない。これらの問題も放置を続ければ、中東や国際社会の重大な不安定要因となっていくことだろう。国際社会は、その安全を確実にする目的からも中東の環境問題に目を向ける必要があることは明らかである。
  


ラフール・マハジャンほか著、益岡賢・いけだ よしこ編訳『ファルージャ2004年4月』の書評 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年10月07日(木) 15時08分05秒

   本書は、今年四月に日本人三人の人質事件が発生したファルージャの町での米軍の凄惨な軍事的制圧の実態を、筆者たちの体験を通じて伝え、米軍がクラスター爆弾、狙撃兵などを用いて無差別にファルージャの人々を殺害していった事実を明らかにしている。
   米軍がファルージャに注目したのは、三月三一日に米国人の警備会社の社員が武装勢力によって殺害され、炎上した車の中で黒焦げになった死体が橋から吊るされたことを契機にするものだった。事件に衝撃を受けた米海兵隊は、武装勢力の「掃討作戦」を開始した。本書は、その米軍の軍事行動が過度なものであったことをリアルに伝えている。今年四月に六〇〇人以上のイラク人が米軍の攻撃によって殺害されたが、そのうちの二〇〇人が女性で、一〇〇人以上が子供だった。
   ベトナム戦争の際に、米軍特殊部隊のある大佐がベトナム南部のベントレの町について「われわれは町を救うために、破壊しなければならない」と述べたことが本書の中で紹介されている。まさに、ファルージャの町の住民たちは、同じ運命に遭い、米国の乱暴な軍事作戦の犠牲となった。ファルージャでは二つのサッカー場が墓地に変わるほど、大量の殺戮が米軍によって行われた。米軍の狙撃兵の攻撃対象は、女性をも狙うもので、また狙撃兵の活動のために、ファルージャでは、負傷者の病院への運搬も思うに任せなかった。
   本書の内容は、ファルージャにおける戦闘の実態を紹介することによって、あらためてイラク戦争の正当性を問うものとなっている。米国のブッシュ大統領は、イラクでサダム・フセインの暴政に代わって、「民主主義」を確立すると豪語した。しかし、その実態はどうであったろうか。二〇〇四年四月にファルージャで発生したことは、米国が唱えた「イラクにおける民主主義の確立」が虚構であったことを鮮明に表している。米国は民意を尊重するどころか、ファルージャの人々の人権を残酷な方法で侵害した。
   ファルージャで米軍と戦う「ムジャヒディン(イスラムの聖なる戦士)」は、民衆の抵抗の中から生まれたものだ。米軍が武装勢力だけでなく、市民をも軍事的制圧の対象にしたことが、武装勢力の数を増やし、その抵抗を強めることになった。これは、民主主義を軍事力で確立するという発想が極めて不合理で、負の効果しかもっていないことを明白に表している。
   ファルージャには純真で、信心深い人々が居住し、また彼らは農耕に基礎を置く部族社会を構成している。しかし、日ごろはおとなしい人々でも、家族や親族が犠牲になれば、ムジャヒディンとして米軍に抵抗するために、いつでも武器を手にすることになる。本書の著者の一人、ラフール・マハジャンは、ファルージャの人々は良き友だが、敵に回すと恐ろしいと語っている。
   ファルージャでの戦闘は、イラク戦争の矛盾を典型的に表している。四月に日本人のNGO関係者などが人質になった時、自衛隊の撤退が武装勢力によって要求された。これは、米軍の占領に対する反発や抵抗が強い中では、文民による復興支援活動が困難であることをあらためて示す事件であった。武装勢力は、自衛隊を米国の占領に対する「協力者」として見ている。本書は、米国のイラク占領における粗雑な手法がイラクの復興をいよいよ困難にし、またイラク戦争が矛盾に満ちたものであることをあらためて教えてくれる。
  
  
  


2004年7月27日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年07月29日(木) 11時27分19秒

   4年生の櫻井由香さんと山口由珠さんから報告があった。櫻井さんは、「クリントン政権の中東和平への取り組み」というテーマで、1993年のオスロ合意成立のプロセスや背景に関する説明を行った。また、Wye川合意の内容、キャンプ・デーヴィッド会談の交渉ポイント、さらにこの会談におけるイスラエル、パレスチナ、米国の主張や論点などが紹介された。また、ブッシュ政権による「ロードマップ」の内容、ロードマップ提示後のパレスチナ情勢に関する分析が試みられた。最後に、イスラエルによる「分離壁」の建設や、「暗殺作戦」の中東和平への影響を考察した。
   山口さんは、「アメリカによるイラク占領とイラクの今後の展望」と題する報告を行った。CPAによる戦後統治は、旧バアス党員の公職追放と、イラク国軍の解体を伴うものだったが、これらの措置はイラク人の失業と経済的不満を招き、占領政策の混迷をもたらすものであった。また、「占領軍への反発」をファルージャの動静とムクタダ・アル・サドル師の運動を例に紹介した。


7月13日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年07月13日(火) 15時09分37秒

   3年生の水越恵さんと私(宮田)が報告した。水越さんからは、クルド人問題ついて報告があった。国家をもたない世界最大の民族であるクルド人が、トルコ、イラク、イランなどに分断されて置かれるようになった歴史的経緯についての説明があり、また、トルコ、イラン、イラクのクルド人の歴史や現況、また問題点に関する説明や分析があった。中東で最初の民族国家となったトルコでは、クルド人のアイデンティティが抑圧され、またクルド語による出版活動やラジオ・テレビ放送が禁止されるなど、トルコへの同化政策が追求された。しかし、近年においては、トルコがEUへの加盟を果たしたいために、「死刑制度の原則廃止」「クルド語による放送解禁」「クルド語や方言による教育容認」などの改革が行われるようになった。また、イランでは、「イラン・クルド民主党(PDKI)」が1945年に結成され、自治を要求してきた。多民族国家であるイランでは、クルド人の自治要求運動が国家の枠組みを変える可能性があるため、イラン政府にはこれを抑圧する方針がある。さらに、イラクでは、「クルド民主党(KDP)」などが自治を要求してきたが、フセイン政権は、1988年3月に化学兵器を用いてハラブジャでクルド人数千人を殺害するなど、クルド人を厳しく弾圧した。最後に、トルコのクルド人に対する今後の扱いが、EU諸国の圧力などによって変化すれば、他の諸国におけるクルド人をめぐる状況にも変化をもたらす可能性がある、と水越さんは結論づけた。
   宮田は、前回の水越さんのアフガニスタンに関する報告を補う形で、アフガニスタンの歴史と社会、アフガニスタンの民族、現代アフガニスタンの不安定の背景、アフガニスタン現政権の不安定要因、日本の対アフガニスタン支援はどうあるべきかなどについて説明を行った。アフガニスタンの民族構成は複雑で、その「民族」を基軸に紛争や対立が行われてきたが、現政権もタジク人主体に成立するなど、今後再び民族的対立を背景に、アフガン政治は不安定な様相を呈する可能性がある。アフガニスタンがイスラム過激派の拠点となったように、アフガニスタンの安定を図ることは世界の安全を高めることにもなる。日本も、経済支援はいうに及ばず、教育や文化復興など「心の支援」を通じて、アフガニスタンの復興支援を行っていくべきことを説いた。


卒論の途中経過 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年07月05日(月) 13時34分57秒

   4年生の櫻井由香さんと山口由珠さんの卒論の途中経過を報告する。6月29日の卒業研究では、櫻井さんは、ロードマップ成立の背景となったオスロ合意の崩壊過程を紹介した後に、ブッシュ大統領がロードマップを提示した要因について触れた。また、櫻井さんは、ロードマップの内容に言及し、ロードマップは、和平実現への行程を3段階に分け、パレスチナ側の暴力の停止(2003年5月末まで)、暫定的な国境をもつパレスチナ独立国家樹立(同12月まで)、パレスチナ国家の最終的な国境線を画定し、イスラエルとアラブ諸国間の関係を正常化(2005年まで)など、和平への具体的な道筋を示したものであったと説明した。
   山口さんは、「米国によるイラク占領と今後のイラクの展望」というテーマを卒論に設定している。6月29日の報告では、主に米国によるイラク占領政策の実態を説明し、ORHA(復興人道支援室)、CPA(米英暫定占領当局)による占領政策の失敗や不備を明らかにした。脱バアス党化、国軍の性急な解体などが、失業者の増大や「抵抗」をもたらしていることを指摘した。


2004年6月8日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年06月09日(水) 13時32分41秒

   3年生の水越恵子さんと私(宮田律)が報告した。水越さんからは、アフガニスタンの民族構成、1992年4月の人民党政権崩壊からターリバーンによるバーミヤンの石仏破壊に至るアフガニスタンの現代史、またアフガニスタンの周辺諸国の思惑やアフガニスタンの不安定要因などについて説明があった。周辺諸国の思惑では、特にパキスタンはインドとの係争問題であるカシミール紛争(アフガニスタンの東に位置する)を抱えるため、西のアフガニスタンとの友好関係の維持は必要なことである。さらに、アフガニスタンの安定を妨げる要因として民族問題があり、ハミド・カルザイ大統領による新政権は、カルザイ大統領は民族的には多数派のパシュトゥン人であるものの、政権の中枢にはタジク人が多く配置され、それが今後パシュトゥン人たちの不満を生む可能性がある。また、水越さんは、アフガニスタン難民の経済的自立を支援することも安定した政治・社会を構築する上で必要であると述べた。
   宮田は、パレスチナ問題の現況を、ロードマップの停滞、分離壁の問題、零落するパレスチナ経済などの観点から説明した。パレスチナ問題については、2003年のイラク戦争を前にして「ロードマップ(和平への指針)」が示されたが、イスラエルの「暗殺作戦」、またパレスチナ人による「自爆攻撃」の応酬によって、和平への展望がなかなか開けない。アメリカ・ブッシュ政権には、パレスチナ問題に関与する姿勢が希薄だが、アメリカのコミットがほとんど見られないことも、パレスチナ問題の混迷を招く一つの要因になっている。イスラエルは、イスラエルとパレスチナを分かつ分離壁を建設しているが、1948年から49年にかけて成立した停戦ラインである「グリーンライン」よりも分離壁は、ヨルダン川西岸内部に入り組んで複雑に蛇行しながら建設されている。また、パレスチナでイスラム勢力などの自爆攻撃があるのは、パレスチナ自治政府がパレスチナ社会を統制できていないことも背景にある。パレスチナ人の5歳以下の子供の22%以下が栄養失調で苦しんでいるが、それは2000年から比較すると300%の増加になるという。それほどパレスチナ社会は疲弊するようになったが、和平へのブレイクスルーはほとんど見えない状態にある。


2004年5月25日の演習 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年06月02日(水) 12時58分56秒

   5月25日の演習では、4年生の櫻井由香さんと山口由珠さんが報告しました。櫻井さんのテーマは「ロードマップの課題と中東和平の展望」、山口さんからは「アメリカによるイラク占領政策の実態」についての研究報告がありました。櫻井さんは、ロードマップの目的、その成立の背景、ロードマップの内容、さらにその課題について話をされました。ブッシュ政権がイスラエル寄りの政策をとり、またイスラエル・シャロン政権が分離壁の建設、パレスチナ人指導者に対する「暗殺作戦」など強硬な方針をとっていることとが和平の障害になっているとのことでした。
   山口さんは、アメリカによるイラク攻撃の背景、イラク戦争に至るまでのアメリカの国連での行動、また国連におけるフランス、ドイツ、ロシアのアメリカのイラク戦争に対する批判の論拠についての紹介がありました。また、イラクの戦後復興を妨げる要因として、政権政党であったバアス党のテクノクラートたちを排除したこと、さらにイラク軍を解体したことで、多くの失業者を生み出し、彼らの占領行政に対する反発を生み出したことが指摘されました。


「イスラム世界はなぜ没落したか?」の書評 投稿者:宮田律
  [書込:返信|新規] 2004年02月22日(日) 22時03分04秒

  バーナード ルイス/[著]臼杵陽:今松泰:福田義昭/[訳] 出版社:日本評論
  社価格:2,500円. 「イスラム世界はなぜ没落したか?」
  
   著者、バーナード・ルイスは、ロンドン大学やプリンストン大学で教鞭をとったアラブやオスマン帝国史研究の権威として評価を受けている。他方で、ユダヤ人の彼は、「シオニスト(パレスチナにユダヤ人国家を建設することを考えるイデオロギーをもつ人間の代名詞)として、親イスラエル的な言動でも批判を浴びてきた。ブッシュ政権によるイラク戦争を推進したタカ派の「ネオコン勢力」の思想的背景を提供した人物ともいわれている。
   本書は、イスラム世界は邦題の通り中東は西洋に比べなぜ発展から取り残されてしまったのかという問題意識によって書かれている。ルイスは、西洋が中東に比べ劣ってしまったのは、自由・解放の概念がないからだと結論づけている。言論の自由、女性の解放、暴政からの解放などがイスラム世界には欠如していると著者は主張する。全体を貫くテーマは、イスラム世界は、どのような歴史的変遷を経て、西洋から劣ってしまったかというものだろう。
   「西洋」「イスラム世界」という用語すらも不用意に使用し、正確に、厳密にそれらの言葉を用いているとは思われない。西洋の優位性を明確に説くという点で、人種的な偏見すらも感じてしまう内容になっている。本書を読んでいて「白人の負担」という西洋帝国主義を鼓舞した表現すらも想い起こしてしまった。まさに、イラク戦争は、ルイスが抱いているようなイスラム世界を「文明化」というような思い上がった一部欧米世界(特に米国と英国)の考えに基づいて行われたのではないかと思えるほどだ。
   ルイスは、イスラム世界が発展から取り残された歴史的プロセスを主にオスマン帝国の歴史から引いている。歴史家のルイスがイスラム世界の現状や問題点を綿密で、実証的な研究に基づいているとは到底思えない。彼は、従来蓄積した断片的な知識を、現在のイスラム世界の矛盾やさらにイスラム過激派の暴力的行為に強引に関連づけている。本書を読んで、なぜ現在イスラム過激派が台頭したり、イラクで米英軍に対する排斥運動や武力攻撃が起こったりする背景が理解できることはないだろう。
   ともあれ、現在の米国の中東研究は、ルイスなどイスラム世界に対するタカ派的立場と、またムスリムに対して穏健な考えを主張する研究者の二極に分かれているが、イラク戦争などブッシュ政権の中東政策の思想的背景になっているのは、ルイスなどの考えや主張である。ブッシュ政権の中東政策がどのような考えを背景に推進されているか、その背景について知る上では一読の価値があるかもしれない。
  


1ページ目 >>次ページ



[管理モード]
eucaly.net FreeBBS Version.3.0.0 / By eucalyptus. 2002-2011 / eucaly.net products.