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「イスラム過激派」の現況について 投稿者:宮田律
 2009年09月13日(日) 12時00分50秒
   インドのムンバイで2008年11月26日に発生した同時テロ事件は、アルカイダと関連があるパキスタンのイスラム過激派のラシュカレ・タイバ(高潔な軍隊)の犯行であるとインド政府は発表した。ラシュカレ・タイバは、パキスタンの他のイスラム過激派組織が信奉するデオバンド派というイスラムの宗派(19世紀英領インド帝国で生まれたイスラムの原点に回帰しようとする思想や運動)ではなく、サウジアラビアの国教であるワッハーブ派という厳格なイスラムの宗派を奉ずる組織である。
  他のパキスタンのイスラム過激派の関心がカシミールなどインドとの闘争に向くのに対して、ラシュカレ・タイバはアルカイダのように、欧米(特にアメリカとイギリス)、イスラエル、そしてインドを敵とするように国際的な目標を掲げる。フセイン政権崩壊後のイラクにもそのメンバーを送り、米軍との戦闘を行った。
   ラシュカレ・タイバの創設は1986年とされ、当初はアフガニスタンでの対ソ戦争に従事することを主要な活動目標にしていた。この点でアルカイダの指導者であるオサマ・ビンラディンと共通の立場をとり、イラクでの戦いに従事していたことからもラシュカレ・タイバがアルカイダとネットワークを形成していることは間違いない。
  ラシュカレ・タイバは、パキスタンのラホールの近郊に軍事訓練キャンプをもパキスタンのジャーナリストのアミール・ミールによれば、なおよそ2500人と見積もられるメンバーに対して軍事技術を教化してきた。このラシュカレ・タイバの訓練にパキスタンの統合軍情報部が支援を与えたとされ、アメリカの対テロ戦争に協力したムシャラフ政権もラシュカレ・タイバの活動を黙認していた。
   2007年9月にパキスタンのペシャワルで会見したアルカイダなどイスラム過激派取材で著名なBBCのストリンガーのラヒムッラー・ユースフザイ氏の話によれば、パキスタンやアフガニスタンにはオサマ・ビンラディンと行動を共にしていたアルカイダのメンバーはもはやほとんどいないだろうということだった。欧米の学界でもビンラディンと行動を共にしていた活動家たちは「オリジナル・アルカイダ」と表現されるようになった。現在「アルカイダ」と表現される人々は「イスラム過激派」とほぼ同義語となっている。
   現在、イスラム過激派の活動を担っているのは、若い世代の活動家たちで、2000年代に入ってフセイン政権崩壊後のイラクなどで活動してきた勢力である。イラクでの戦闘が膠着状態になった現在、国際的なイスラム過激派の最重要課題はアフガニスタンのタリバン政権の復活と、アフガニスタンから外国軍を撤退させることになっている。イラクのクルド人地域、あるいはイランを通過してアフガニスタンにアルカイダのメンバーたちがアフガニスタンに流入するようになった。
   若い世代のイスラム過激派はイスラム世界各地で台頭するようになっている。オサマ・ビンラディンを生んだ国であるサウジアラビアでは政府によるアルカイダの取り締まりが厳重になったため、隣国のイエメンやアフガニスタン、パキスタンなどに流出し、活動するようになっている。イエメンは地方に対する中央政府の統制が弱く、地方では武器の売買が半ば公然と行われるようになった。イエメンではアルカイダの3つの組織があり、「イエメン兵士旅団(カタイーブ・アル・ジュンド・アル・イエメン)」「イエメンのアルカイダ」「アラビア半島のアルカイダ」がある。
  イラクのイスラム過激派には、北アフリカのモーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、エジプト、シリア、ヨルダン、イエメンなどの国々の出身者が依然としてメンバーとして加わっている。ヨーロッパでもイスラム過激派のメンバーを募る組織の存在が指摘され、イラクに武装集団のメンバーを送る大規模のネットワークの存在が指摘されるようになった。オバマ政権の対テロ戦争がイラクからアフガニスタンにシフトしつつあるため、イラクでアルカイダの活動が再び活発になる可能性がある。米国は対テロ戦争で大きなジレンマに立たされている。米国など国際社会はアルカイダの活動抑制のための包括的な戦略を検討しなければならない。
  
  


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