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無題 投稿者:Z.K
 2007年12月28日(金) 13時17分38秒 / ID : KnaWb1lo
  慶雲の改革の後、社会経済史において僕が注目しているのは、706年3月の次の詔です。
  史料1(『続日本紀』706年3月条)
  A(また、詔して曰はく、「軒冕の群、代耕の禄を受け、有秩の類、民の農を妨ぐること無し。故に、召伯は所以に甘棠に憩ひ、公休は其に由りて園葵を抜きき。B(頃者、王公諸臣、多く山沢を占めて、耕種を事とせず。競ひて貪婪を懐ひて、空しく地の利を妨ぐ。)C(若し百姓の柴草を採る者有らば、仍ちその器を奪ひて、大きに辛苦しましむ。)D(加以、地を賜はること、実に止一二畝有るのみ。是に由りて、峯を踰え谷を跨びて、浪に境界とす。今より以後、更に然ること得ざれ。)但し、氏々の祖の墓と百姓の宅の辺とに、樹を栽ゑて林とすること、并せて周二三十許歩ならむは、禁の限に在らず」とのたまふ。
  [注1(校注者)青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸『続日本紀一 新日本古典文学大系12』岩波書店 1989年 P103・105引用 英字・( )引用者]
  史料2(「養老律令」 雑令9後半部分)
  自余の禁処に非ざらむは、山川藪沢の利は、公私共にせよ。[注2(校注者)井上光貞・関晃・土田直鎮・青木和夫『律令』岩波書店 1976 P477引用]
  史料1は、王公諸臣が不正に山野を占有し[B( )・D( )参照]、農民の利を害している[C( )参照]としてこれの禁止を指示しています。僕は、当初はこの詔を慶雲の改革の一つとして捉えました。一般的には慶雲の改革には含まれませんが(『国史大辞典』の「慶雲の改革」は、史料1の詔について触れていません。)、この詔は土地国有制を強化するもので、改革の一環であると考えました。しかし、吉村武彦氏の著書『日本古代の社会と国家』において、吉村氏は史料1の706年3月の詔、及び前後の類似・関連する史料、史料2の養老令雑令9を分析し、「この条文は、『令集解』雑令の散逸で大宝令は復元できないが、大同元年官符から同趣旨の大宝令文が存在したと想定される。」(注3 吉村武彦『日本古代の社会と国家』岩波書店 1996 P219引用)と述べています。これからすると、農民の支援という点では706年2月の詔の減税の箇所と同じですが、これは律令を改正するものではなく遵守を求めるものとなりますから、慶雲3年の改革の一環として捉えるには無理があるという結論に達しました。僕は、706年頃の律令国家の自然災害や制度上の問題への対応は、減税による負担軽減だけでなく律令体制の強化という対策も行われたと思います。また、吉村氏は山川藪沢に対する政策について、「その意義は山川藪沢にたいする国家の支配体制の創出であるが、現実的には常に支配階級による山川藪沢の独占的占有を排することにあった。つまり、一般百姓の利用―山川藪沢における百姓の農業生産、生活上の必須物の獲得―を保護し、それによって、百姓の豪族たちとの隷属関係およびそれへの契機を摘みとり、律令制国家の百姓に対する支配体制の安定化を企図したのである。」(注4 前掲『日本古代の社会と国家』P219引用)と述べています。これは、史料1の詔だけでなく、その前後にある同趣旨の詔も含めての見解で、その通りだと思いますが、史料1の詔について僕の考えを追加したいと思います。A( )の部分も併せて考えると、この詔は、有力者は禄の支給を受けており人民の農業を妨げるべきでないにもかかわらず、共有地を占有し農民を苦しめていると述べていると思います。(史料の中で、主語が軒冕の群・有秩の類・王公諸臣と微妙に代わっているのですが、全体的に考えるとこのような趣旨だと思います。) そして、律令国家が官人に支給した禄は農民に課された調や庸により支払われたはずです。したがって、王公諸臣は律令制を通して農民から禄を取得し、さらに支配地を拡大することで二重に農民を苦しめています。それを批判するこの詔は、律令国家が支配構造を一元化しようとしているという言い方もできると思います。また、吉村氏の見解の中で、終盤の箇所は農民の側に立って考えると農民は国家と豪族の両方に支配されていると言えると思います。吉村氏が述べているように、律令国家はそれを是正しようとしたのですが、この史料1の詔と類似の史料はこの後にも多くあり効果には疑問を感じます。僕は、前に書いた律令体制下での二重支配との関連としても、この共有地の問題に注目しました。−ただし、律令国家も調・庸や兵役などで民衆に大きな負担をかけたのですから必ずしも当時の中間支配階級的な層だけを批判することはできないと思います。
  また、僕にとって律令国家体制を調査研究する面白さの一つは、制度及び国家理念と現実との乖離・矛盾です。史料1の詔は、三世一身法・墾田永年私財法以前にすでに公地公民制には限界があったことを示していると思います。
  


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